第106回【新聞と戦争・アーカイブ】政経記者たち:13
【2007年12月6日夕刊3面】
日米開戦の年が明けた1942年2月、大きな不幸が佐々(さっさ)弘雄を襲った。3歳の末娘、尚子の病死。妻は泣きながら佐々をなじった。病死の原因となった最初の風邪を見逃したのは、家を顧みる余裕のなかった佐々にも責任があった。
静まりかえった家に、玄関の格子戸を激しく開け放つ音が響いた。
「どうだ佐々君、子をなくす哀(かな)しみが、わかったかッ!」
怒鳴ったのは、中野正剛だった(紀平悌子『父と娘の昭和悲史』)。
元朝日記者の中野は、同じ九州出身の後輩の佐々と親しく、中野自身も長男と妻、次男を相次いで失っていた。佐々と中野は小さな亡骸(なきがら)の前にぬかずき、号泣した。