大阪にあった朝鮮王朝のびょうぶ、NYへ 散逸防いだ在日2世の思い

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武田肇
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 東アジアが激動期を迎えた19世紀後半に制作された朝鮮王朝ゆかりのびょうぶが、大阪から米ニューヨークへ海を渡った。日本統治時代朝鮮戦争をくぐり抜けたびょうぶで、日韓の架け橋を目指した在日コリアンの歴史研究者の手で散逸から守られた。

 「刺繡(ししゅう)古銅器図屛風(びょうぶ)」と題され、十曲の幅は491センチ、高さは214センチある。19世紀後半、朝鮮王宮付きの工芸師が制作したとみられ、古代中国の祭祀(さいし)儀礼で使われた鐘や鼎(かなえ)といった青銅器が金色の絹糸で精巧に刺繡されている。漢字の起源とされる亀甲文字もあしらわれている。

 寄託を受けて保管していた大阪歴史博物館大阪市中央区)の大澤研一館長は「朝鮮王朝では中国の青銅器は宝器とされ、富や権力の象徴。手間のかかる刺繡で描かれた作品は極めて珍しく、類品は韓国にも残っていないとみられる」と話す。

 京都市出身の在日コリアン2世、辛基秀(シンギス)さん(1931~2002)が所有していた。在野の歴史研究者で、江戸時代に朝鮮王朝が12回にわたり派遣した外交使節団「朝鮮通信使」の資料を発掘した。同郷の友人で、映画監督の故・大島渚さんの影響を受けて映像制作にも打ち込み、1979年に記録映画「江戸時代の朝鮮通信使」を発表し、教科書の記述にも影響を与えた。のちに朝鮮通信使記録がユネスコ国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に登録される土台を築いた。

朝鮮王朝の最末期に制作された「王宮びょうぶ」が、大阪からニューヨークへと海を渡りました。現在のソウルにあった王宮の工芸師が制作したとみられる工芸品は、なぜ大阪にあったのでしょうか?

 大阪歴博は、辛さんが収集し…

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