「米国は私の国」日系人部隊の戦争 大統領がたたえた偏見との戦い

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サンフランシスコ=五十嵐大介
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プレミアムA「日米開戦80年」

 第2次大戦中の1942年ごろ、日系2世のバスター・コウゾウ・イチカワ(98)は、家族と共にカリフォルニア州北部のツーリレーク強制収容所にいた。

 オレゴンとの州境のすぐ近く。冬はとても寒く、夏はとても暑い。寒い時でも、石炭のストーブしかない。「あの状況のなかで最善を尽くそうとした」

 仕事をしながら半年ほどたった後、イチカワは徴兵され、日系人だけで構成する第442連隊に加わる。ミシシッピ州で訓練を受けた後、ニューヨークから船で英スコットランドに渡り、ドーバー海峡を経てフランスに入った。

 43年に作られた442連隊は、「Go For Broke(当たって砕けろ)」のモットーを掲げていた。フランス東部でドイツ軍に包囲されたテキサス州の部隊を救出した作戦などに参加し、米軍の歴史のなかでも、最も多く勲章をもらった部隊として知られる。「日系人も他の米国人と同じぐらい有能な国民だということを証明してやれ、という気概だった」。イチカワは過去のインタビューでそう語っている。

 だが、その人的被害は甚大だった。従軍した約1万4千人以上の部隊のうち、約600人が死亡し、約9400人が負傷した。

大統領「あなた方は偏見とも戦った」

 45年4月5日、イタリア北部の街ピサ近くの山岳地帯での「ポーバレー作戦」の初日。イチカワは「志願兵を募ったので、自分は手を挙げて志願した」という。

 渓谷を進んでいく途中、山の上からドイツ軍の攻撃を受けた。大きな岩の陰に隠れれば大丈夫だろうと思ったが、迫撃砲弾が頭上から降ってきて、破片が腕に突き刺さった。3メートルほど離れた場所にいた仲間たちは、直撃を受けた。

 イチカワは病院に運ばれたが…

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