真珠湾の「恐怖」が生んだ強制収容 日系の若者は米軍入りを志願した

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ワシントン=園田耕司
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 米東部バージニア州にある米国立陸軍博物館の3階に8月下旬、日系人部隊の特別展のコーナーが設けられていた。車いすに乗ったアジア系の高齢男性が当時の兵士たちのヘルメットやバッグなどの展示物を食い入るように見つめていた。

 男性の名前は、ハワイ州在住のチャールズ・モリヤマ(96)。第2次世界大戦中、陸軍情報部(MIS)に所属していた。MIS所属の日系人兵士たちは日本語の能力を駆使し、戦地で捕虜の尋問や情報収集に当たる役目を担った。

 モリヤマはハワイ大学在学中に志願してMISに入った。ミネソタ州の陸軍情報機関の語学学校で日本語の特訓を受けたのち、さらにメリーランド州でカウンターインテリジェンスの訓練を受けた。「日本本土への侵攻に備えていた」と振り返る。しかし、戦地に赴く前に太平洋戦争が終結した。

 占領下の日本に米軍情報部隊の一員として赴任。映画館で反米的な内容のものはないかなどをチェックする任務を担った。

 モリヤマは特別展を見ながら、いまの日米関係を「本当にしっかりと地に足がついたものになった」と感慨深げにつぶやいた。

 モリヤマとともに、特別展の展示品を見ていたカリフォルニア州在住のラルフ・マツモト(100)も、MISに所属していた。MIS入りした理由について、「それが私の義務だと思ったんだ」と言った。

41年12月7日、日系人たちの運命が変わった

 日系人部隊の兵士は「NISEI SOLDIER(2世兵士)」と呼ばれる。多くは日本からの移民の父母をもつ米国生まれの2世だったためだ。モリヤマの両親も1920年代初めに福岡県からハワイに移住したという。

 日系人たちの運命は、41年…

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