パリ在住のファッションデザイナー島田順子が手がけるジュンコ・シマダが40周年を迎えた。「苦しみながらも自由でいる。好きなことをやっていたいから」。そんな信念を支えに80歳のいまも自らデザイン画を描き、年に2回の新作発表を続けている。
2年ぶりに帰国した島田は白髪をざっくりとまとめ、力の抜けたパンツスタイルがパリジェンヌそのもの。81回目のコレクションとなる22年春夏の新作は、ゴーギャンの絵を着想源に、色鮮やかなシャツやストライプ柄のビスチェドレスなどをつくった。「何年やってもうまくいかないんだもの。40年はあっという間でしたよ」と笑う。
1941年、千葉県館山市の豆腐屋に生まれた。明治生まれの祖母は着物を粋に着こなし、料理も機織りも得意。冬至にはユズ湯、端午の節句にはショウブ湯と、四季を大切に暮らしていた。「ファッションは服のことだけじゃないの。洋服はほんの一部でね。祖母の暮らし方があこがれでした」
絵を描くことが好きで、画家を夢見てデッサンを練習していたが、母親から「ひとりで子供を育てられるぐらい自立した人間になったほうがいい」と言われ、杉野学園ドレスメーカー女学院に進んだ。授業に興味が持てず、夢中になったのはフランス映画。66年、ビートルズが来日した年に、船でフランスに渡った。
「最初からデザイナーになりたいなんて言ってフランスに来たらつぶされちゃう。ジェラシーがすごいから。『教えてもらっているんだ』っていう謙虚な気持ちでいると、相手も胸を開いて教えてくれる。ただそれだけでした。何になりたいとか、欲を出していない。いやになったら帰ればいいと思っていたし。その日その日を精いっぱい、楽しくね」
デザイナー集団「マフィア」や「キャシャレル」を経て81年、40歳で「ジュンコ・シマダデザインスタジオ」を設立し、パリ・コレクションに初めて参加した。「40歳、仕事を新しく始めるのにちょうどよかったんじゃないかな。経験を積んでいろんなことを覚えて。適齢期だったと思いますね」
生活のなかで生まれてくるデザインは自然でさりげない。花でたとえるなら、橙(だいだい)色のキンセンカや真っ赤なグラジオラスではない。好きなのは、素朴ではかなげなエーデルワイス。着る人をかっこよく、美しく見せる服を追い求めてきた。
「ものづくりってすごく苦しいし、もうやめようって思ったこと、何度もある」。それでもデザイン画を描き、想像を超えるものができたときの感激は何にも代えがたく、その積み重ねで40年やってきた。
ブランドの権利を売ってもっ…