円形住宅 理想と兄への思い 戦後復興期に完成「住みよく、安く」

鈴木淑子
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 【神奈川】円錐(えんすい)形の屋根に、コンクリートブロックを積み上げた円筒形の外壁――。川崎市麻生区片平の丘陵地に戦後の復興期に建築された住宅がある。建築家の弟が兄を思い、自身の理想をもとに設計したこの物件。今月9日には、市の地域文化財にも選ばれた。

 現在の所有者で東大生産技術研究所の准教授、林憲吾さん(41)は1年ほど前、家を建てるための土地を探していたところ、ウェブサイトで約280平方メートルの土地に丸印が描かれた平面図を見つけた。通常の建物とは異なっていたため、「『おやっ』と思って、不動産会社に見せてもらいました」

 現地に赴き、中に入って目を見張った。広さ20畳ほどの建物の真ん中には1本の細い鉄の柱があり、まるで傘の柄のように円錐状に広がる木造の屋根を支えていた。中央には明かり取りのガラスもはめ込まれ、空間そのものは「モンゴルのゲルのような円形の構造になっていた」。

 近代建築史を専門とする林さん。コンクリートや鉄などを多用した住宅が、戦後の日本で再び建てられるようになるのは戦後復興が進んだ1950年代と認識していたが、「円形というのは、日本の近代建築史の中でも特異」。壊してしまうのは惜しいと感じた。

 建物にあったアルバムには建設当初とおぼしき写真も残されていた。「満蒙開拓青少年義勇軍」として旧満州に送り出された少年たちが共同生活した「日輪兵舎」を思わせた。

 前の所有者で神奈川県藤沢市に住む神谷英二さん(76)らから、住宅を建てられた経緯を聞き取った。英二さんの父・謙遜さんは日本で歯科医院を開業した後、旧満州に渡り、陸軍病院などに勤めた。戦後も旧満州などに抑留され、53年にようやく帰国することができた。

 日本に戻った謙遜さんのため、円形住宅を設計したのが謙遜さんの弟で、旧満州国の国務院建築局にも勤め、日本で終戦を迎えた建築家の正信さんだった。

 1955年2月に住宅は完成し、一時期、歯科診療所としても使われた。英二さんは小学生から大学を卒業する頃までここで過ごした。「ふすまや障子といった仕切りがなく、最初は『変な家だな』と思いました。でもそのうち、近所で『まるうち』と有名になり、父の満州時代の部下の人が訪ねてきても迷うことがありませんでした」

 同じ面積、同じ仕様の住宅でも、壁の少ない住まいは工事費が安くあがる――。設計した正信さんは、円形にした理由を自著で明かしている。「同じ面積で、外周がいちばん少ないのは円形」と、円形住宅を一つの理想に見立てていた。戦後復興期から高度成長期にかけ、「住みよく、安く」をモットーに、小住宅の設計に取り組んだ建築家らしい発想だった。

 市は9日、市内の碑など計31件を地域文化財に決定し、円形の家も選ばれた。林さんは「兄のため、自身の理念をいわば実験的に実現させた唯一無二の住宅」と見る。来夏に改装を終える予定で今後、建物を保存・改装して自宅のリビングとして使い、トークイベントやものづくりのワークショップなどを開催したいと考えている。(鈴木淑子)