新宿中村屋元店長が個展 売り上げの一部をインドに寄付「恩返しを」

新型コロナウイルス

高田誠
[PR]

 「純印度式カリー」で知られる老舗の名店「新宿中村屋」の元本店長、渡辺幸雄さん(78)の淡彩スケッチの個展が、東京都八王子市で26日まで開かれている。販売代金はインドの新型コロナウイルス対策に寄付する予定という。創業者と、インドの独立運動活動家にまつわるエピソードを大切に、伝統の味を守ってきたという思いがあるからだ。

 長野県出身の相馬愛蔵と妻の黒光(こっこう)は1901(明治34)年、東京・本郷でパン屋「中村屋」を開いた。8年後に新宿の現在地へ移転、和菓子の販売も始めるなど営業が本格化する。

 第1次世界大戦中の15(大正4)年、イギリスの植民地だったインドで独立運動にかかわったラス・ビハリ・ボースが日本に亡命した。政府は国外退去させようとしたが、愛蔵は国家主義者の大物の依頼でボースを約4カ月間、かくまった。後にボースは相馬家の長女と結婚し、日本国籍を取得。日本からインドの独立運動を支援するとともに中村屋の経営に携わった。

 ボースが愛蔵に感謝し、伝授したのが、スパイスをふんだんに用いた祖国のカリーの作り方だった。

 27(昭和2)年、中村屋に喫茶部が設けられ、ボースの助言で、「純印度式カリー」が看板メニューとなった。

 「中村屋の生いたちと創業者の精神」(同社発行)などによれば、愛蔵は戦前戦後を通し、中華まんじゅうなど独自商品の開発に取り組んだ。一方で、「商人と客は対等」の考えを徹底し、従業員や出入り業者にも対等に接した。多くの芸術家を支え、老人施設建設に多額の寄付をするなど社会奉仕にも力を注いだ。「正義と仁愛を尊重すると同時に自主・独立、独創・創造を尊ぶたくましい精神をもつ人」だったという。

 渡辺さんは山梨県の中学を卒業後、上京。中村屋に就職したのは58(昭和33)年だ。日本経済が高度成長の階段を駆け上がっていくころだ。入社式で新入社員にカリーが振る舞われた。「母のカレーとは全然違う。バターがふわっと香って別の料理だと思った」

 愛蔵やボースはすでに亡い。渡辺さんは全寮制の企業内学校「研成学院」でカリー開発のエピソードを知った。

 メニューのなかでも、純印度式カリーだけは原料を変える時などには社長の決裁がいる。カリーは中村屋でも特別な存在だ。

 渡辺さんが30代で大阪支店長になった3年間、開店前の日課はカリーの味見だった。季節で変えるタマネギの炒め具合、煮崩れしないようにする鶏肉、二十数種類のスパイスの計量、ご飯を盛るタイミングなど少し狂うだけで味は変わってしまう。「根強いファンには気づかれてしまうので毎日が真剣勝負でした」

 高いレベルの味を維持するため、より良い原料や調理の工程、サービスの提供を求めて世界を回った。

 渡辺さんは執行役員、顧問を経て2008年に退職した。

 淡彩スケッチを習い、高尾山や農村、海辺などで筆を動かしている。柔らかいタッチの風景画を中心に300点ほどを描きためた。インドでは新型コロナの被害が大きいため、「力になりたい」と思いついたのが個展の開催だった。

 26日(25日は休み)まで、八王子市緑町の京王線山田駅前の「あずきカフェ」で約20点を並べる。額と用紙の原価程度で販売し、売り上げの半分を在日インド大使館に、半分は高齢者のサロン活動に寄付する。

 いまでも中村屋に好物のカリーを食べに行くという渡辺さん。「商人としての誇りや自信を育ててもらいました。個展は感謝の意味を込めたものです。少しでもインドに恩返しができたらうれしい」

 中村屋は新入社員の研修で、愛蔵とボースのエピソードを語り継いでいる。(高田誠)

新型コロナウイルス最新情報

新型コロナウイルス最新情報

最新ニュースや感染状況、地域別ニュース、予防方法などの生活情報はこちらから。[記事一覧へ]