第3回泉健太氏単独インタビュー「小学生から政治家にあこがれ」

有料会員記事立憲

聞き手・山下龍一
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 立憲民主党代表選は投開票を30日に行い、新代表が決まる。4人の候補者に朝日新聞は単独でインタビューした。3回目は泉健太政調会長(47)。4氏の中で最年少だが、当選回数は最も多い。北海道で育ち、周りにはいつも政治があった。「おやじは反面教師」と見ていた若者が、いかに政治家としての道を歩んできたのかを語った。

生まれ育った北海道 知事の誕生が変えた

 ――衆院選に初めて立候補したのは25歳。当時は全国最年少候補者でした。なぜ政界に飛び込んだのですか。

 小学生の頃、生まれ育った北海道で、今までの既得権益によらない「勝手連」ブームが起き、横路孝弘知事が誕生しました。市民の力で政治が変わる、権力がひっくり返る。そういうことを、なぜか小さい頃から感じていました。

 その後、政治に関心を持って学生時代を過ごしていましたが、なかなか正しいと思う勢力は勝たないわけです。総選挙でも負け続ける。なぜこの国は自民党以外の政党が育たないのか、ということも自分の中にありました。

 ――小さい頃から政治家を志していたのですか。

 政治家になりたいと思ったのは小学生の頃ですね。原体験としては、隣の家に足の悪いおばあちゃんがいて、僕はその家の雪かきをしていました。そうすると自家製のヨーグルトをくれた。誰かが喜んでくれることの喜びが原体験になっているような気がします。

 ――父親も政治に関わっていたそうですね。

父親は「反面教師的にみていました」

 おやじのことは、反面教師的に見ていましたね。「ザ・保守」というような政治風土の中で、地域の町内会長のようなことをしていました。自宅の居間に地域の人が集まり、密談、雑談、謀議……様々な話し合いをしていました。その後、おやじは地元市議に。地域を回って、地域の相談に応じることには熱心でしたが、政策力はほとんどなかったんじゃないですかね。

 愛すべき人です。僕が民主党から立候補したことで、おやじも民主党につきました。

 ――大学に行ってからもずっと政治家志望だったのですか。

 政治家になりたいと、あこがれのようなものを持っていたのは高校生まででした。京都の立命館大学に入ると、政治家以外にも世の中をよくする仕事はたくさんあると感じました。

 市長選の公開討論会を実現する運動にかかわり、投票率を上げるためにはどうしたらいいのか、という活動もしました。NPO、NGO活動のようなことをできないか模索しましたが、仕事にするのは難しいと考えてあきらめました。

 ――そして、25歳だった2000年に初めての国政挑戦となるのですが。

「逃げるのか」ある政治家から言われ内定を辞退

 (現立憲幹事長で参院議員の…

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