第39回【新聞と戦争・アーカイブ】それぞれの8・15:7
【2007年4月10日夕刊3面】
戦後に朝日新聞の論説主幹を務め、ベストセラー『ものの見方について』でも知られた笠(りゅう)信太郎は、戦時下は欧州に特派員として駐在した。
当初はベルリンにいたが、43年秋から中立国スイスのベルンに拠点を移していた。
笠はドイツ敗戦を受けて、日本政府に対し、対米和平を進めるよう働きかけることを決意する。 「(日本の降伏が)一日々々と延びてゆくことが、自分たちの兄弟や友達が死んでゆくことであり、全く見てはいられないのである」(『世界』51年8月号)。戦後、そのときの心情をこう振り返っている。
笠は45年6月に、元朝日新聞副社長で内閣情報局総裁の下村宏あてに「ソ連対日参戦の気配」とする電報を打った。公使館の暗号電報を使った。
「そういう意見が日本政府の…