第47回【新聞と戦争・アーカイブ】それぞれの8・15:15
【2007年4月20日夕刊3面】
植民地朝鮮で発行されていた日本語紙「京城日報」の従業員は、終戦の8月15日、全員が編集局に集められた。
ラジオで天皇が終戦を告げるのを聞き終えた政経部記者、高峻石(コウチュンソック)は、突っ立ったまま、大きな声で叫んだ。
「日本人は帰れ!」
社長をはじめ幹部は日本人だ。みんながびっくりして、いっせいに高に視線を向けた。
ひとり編集局を出て、ゆっくりした足取りで社屋から街に出ると、道行く人たちが「万歳」を叫んでいた。それは日本語の「バンザイ」ではなく、朝鮮語の「マンセー」だった(高『朝鮮人・私の記録』)。
「京城日報」の社長を務めた横溝光暉(みつてる)の回想は、高のそれとは異なる。
玉音放送が雑音ではっきり聞…