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男女交際やディスコも 自由掲げた精神科病院の挑戦はなぜ潰えたか

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今田幸伸
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 所有物は制限せず、男女の交際は自由。出会いの場は院内のディスコ――。カギと鉄格子の閉鎖病棟に患者を閉じ込めるのが当たり前だった日本の精神科医療にあって、50年余り前に、患者本位の治療を打ち出す開かれた精神科病院をつくろうとした医師がいた。その挑戦と挫折とは。

写真・図版
三枚橋病院に設けられたディスコ。「自由 責任 活動」と英語のスローガンが掲げられている=1982年ごろ、星和書店提供

 1968年5月、群馬県太田市の小高い丘に新しい病院が開院した。私立の三枚橋病院。24時間施錠され鉄格子の窓で入院患者を閉じ込める閉鎖病棟をもたない、全開放型の精神科病院だ。

 院長の石川信義医師(1930~2020)はこう宣言した。「従来の精神病院のもろもろの慣習(しきたり)、制度のうち治療を阻害していると考えられるすべてを、まず、とっぱらってみる。そこから生まれるであろう新しい状況のなかから、精神病院の正しい医療のあり方を考えていく」

 閉鎖病棟をなくしただけではない。外泊は「なるべく早期に、頻回に、単独で」許した。男女の交際を自由にし、ディスコなどを設けて出会いを後押しした。所有物は制限せず、たばこやライター、金銭も患者自身が管理する……。石川医師は患者を「病的な部分と健康な部分を併せ持つ人」と定義し、健康な部分を見据えて、強化することを治療の基本姿勢に定めた。

 全開放型病院の約10年間の実践をまとめた記録が『開かれている病棟』だ。版元の星和書店は脳神経科学の専門出版社。石澤雄司社長(74)によると、三枚橋病院の取り組みは刊行まで広く知られてはいなかった。「それが取次から連日のように注文が入って」。初版は5刷、翌年刊の新装版は2010年の13刷まで刷りを重ねた。

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