「2世選手」は幸か不幸か オヤジからの「やめろ!」で選んだ道

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 親と子が同じ世界に身を置けば、比べられるのは世の常だ。

 優れた親をもてば、「2世」はことさら厳しい目にさらされる。

 息子を追い込んできた元Jリーガーの父と、父に反発しながら同じプロサッカーに飛び込んだ息子。安永親子の絆は、長い時間をかけて強くなった。

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 横浜FCのMF安永玲央(21)が本格的にサッカーを始めたのは小学3年だった。父・聡太郎(45)は引退してすでに4年ほどが経っていた。

 現役時代に練習や試合に連れ回した覚えはない。息子に残る父の記憶も引退試合で走る姿ぐらいだ。

 「昔はただの怖いおやじでしかなかった。よく、玲央がサッカー嫌いにならなかったと思う」

 聡太郎は静岡・清水市商高で全国制覇を果たし、1995年に横浜マリノス(現F・マリノス)入り。運動能力の高いFWとして1年目から活躍した。スペイン2部リーグにも2度渡った。

 華やかな実績に加え、ストレートにものを言う性格だ。

 「口出しすることが我慢できないから、玲央が苦しくなると想像できた。チームを移れば、どうせお父さんの力で入ったんでしょ、と言われる。悔しいならもっとやれよ、さっさと俺を超えればいいと繰り返してきた」

 実際、川崎フロンターレジュニアユース、横浜FCユースとJクラブのアカデミー(育成下部組織)に進んだ玲央は、中学生までは父親から逃げ回った。

 「ぼろくそに言われるし、プロなんて無理だといつもいわれた」。試合翌日は自宅で顔を合わせないようにしたし、一緒にボールを蹴ることも避けた。

 それでも、玲央はプロ選手になる夢を見失うことはなかった。プレーヤーとして、ひととして成長していく過程で、聡太郎の強い影響を示す話はいくつも残っている。

 玲央は中学時代、よく指導者に反論した。「サッカーがまだよくわかっていなかった。父を尊敬していたし、父のサッカー観がすべて正しいと思っていた」

 ときには、父の言葉を借りて食ってかかることもあった。

 そんな玲央にとって、最初の大きな転機はやはり父抜きには語れない。

 川崎で昇格できず、横浜FCユースに移った高校1年の夏だった。

 いつものように「プロは甘い…

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