第79回【新聞と戦争・アーカイブ】戦時統制:3

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【2008年2月27日夕刊3面】

 戦時下、新聞読者の関心事は、戦況の推移だった。記者にとっては、陸軍省と海軍省にある記者クラブが主な取材現場となった。

 朝日新聞の社会部記者だった小原正雄(94)は、40~41年と42~43年の2度、陸軍省を担当した。同省の記者クラブに詰め、1日に1、2回開かれる記者会見での発表をもとに戦況などの記事を書くのが主な仕事だった。

 「報道部の作った発表文を削り、形を整えて出稿する。それが私の仕事だった」

 原稿はカーボン紙を使って3枚作り、バイク便で本社に送った。デスクが直しを入れ、検閲、活版、大阪などの他本社へと回された。

 小原の2年後に入社した政経部の海軍省担当、門田圭三(94)にとっても、太平洋戦争の期間中は発表記事だけを書く毎日だった。

 門田によれば、開戦前までは、他省庁との折衝などを担当する軍務局の部屋での取材は認められていた。だが開戦後は、取材の対象は局長だけに限られた。作戦を手がける軍令部への立ち入りは、開戦以前から禁じられていた。

 軍からの戦況発表は「大本営発表」と呼ばれた。大本営とは、作戦や用兵を命じる、戦時の中枢機関。陸軍部と海軍部があり、それぞれの報道部から大本営発表がなされた。

 大本営が「(敵に)甚大なる…

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