第57回【新聞と戦争・アーカイブ】戦場の記者たち:5
【2007年7月18日夕刊2面】
埼玉県内の特別養護老人ホームのロビーに、松林冏(けい)は車いすで現れた。
1905年生まれの102歳。日本が国際連盟脱退を通告した33年、朝日に入社した。
日中戦争の時、松林は従軍記者として中国に派遣された。そこで見た両軍の死闘は、69年を経た今も脳裏に刻まれているという。
中国北部・山西省。
険しい山岳地帯に松林がたどり着いたのは、38年の夏だった。
【2007年7月18日夕刊2面】
埼玉県内の特別養護老人ホームのロビーに、松林冏(けい)は車いすで現れた。
1905年生まれの102歳。日本が国際連盟脱退を通告した33年、朝日に入社した。
日中戦争の時、松林は従軍記者として中国に派遣された。そこで見た両軍の死闘は、69年を経た今も脳裏に刻まれているという。
中国北部・山西省。
険しい山岳地帯に松林がたどり着いたのは、38年の夏だった。