第62回【新聞と戦争・アーカイブ】戦場の記者たち:10

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【2007年7月25日夕刊2面】

 戦地行きが決まった朝日新聞記者の宮地健次郎(92)が、東京の海軍省を訪れたのは、1943年4月。「報道班員」という身分だった。

 それまで新聞社が派遣していた従軍記者は、太平洋戦争中、軍が記者を徴用する「報道班員」に取って代わられた。宮地は当時28歳。大阪の社会部員だった。

 朝日の写真記者の秋山嘉吉、それに毎日新聞の記者2人も来ていた。いずれも報道班員だ。海軍の若い将校は両社の4人を交ぜて2班に分けた。

 「1班はキスカに、もう1班は艦隊の旗艦に配属する。どちらに行くかは君たちで決めてくれ」

 北太平洋アリューシャン列島のキスカ島は、その前年、日本軍が隣のアッツ島とともに攻略・占領したが、米軍の奪還作戦が開始されていた。

 どうやって決める? ジャンケンがいい――宮地は毎日記者との勝負に勝ち、キスカを選んだ。危ないかも知れないが、ニュースは多そうだ。それを選ばないのは記者として少し体裁が悪い。

 だが、現実は予想を超えていた。

 宮地らが横須賀港から潜水艦…

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