第68回【新聞と戦争・アーカイブ】戦場の記者たち:16
【2007年8月2日夕刊2面】
従軍記者が日本で正式に認められたのは日清戦争からといわれる。兵隊とともに戦場を歩き、その生活を描き、激戦を報じ、日中、太平洋戦争で日本の報道関係者の殉職は約300人とされる(『日本戦争外史 従軍記者』)。
だが、記者たちが命を賭して目の当たりにした現実の多くは、読者に伝わることはなかった。
敗戦から2カ月後の1945年10月、海軍省担当や戦地での報道班員を経験した朝日新聞の門田圭三(93)は、「連合艦隊かくて果つ」と題した連載記事を書き、敗因を分析した。
「ハワイ海戦、印度洋海戦等の戦果に、わが一航艦(第1航空艦隊)がやや驕(おご)つてゐたことも一つの原因として数へられてゐる」(10月13日付)
戦中は許されなかった内容だが、ひそかに情報を得てノートに書きためていたのが役立った。
「新聞に書く原稿と、歴史の…