アフガンに尽くした中村哲さんの死から2年 ペシャワール会が追悼

佐々木亮
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 アフガニスタンで医療、灌漑(かんがい)、農業支援に尽くした医師中村哲さんが2019年12月4日に73歳で凶弾に倒れてから2年となるのを前に、追悼の会が27日、福岡市中央市民センターで開かれた。干ばつや戦乱に苦しむ人たちに寄り添った中村さんの実践や言葉を改めて思い起こし、支援事業の継続を誓った。

 中村さんを支援してきた福岡市のNGO「ペシャワール会」が主催。中村さんの遺族やともに働いた元現地ワーカー、支援者らが参加した。

 会場では、中村さんと一緒に犠牲になったアフガン人運転手1人と警備担当4人の遺影が飾られ、中村さんの活動をたどるビデオ映像が流された。

 中村さんの長女秋子さん(41)があいさつ。中村さんがアフガンの話をしたとき、干ばつや戦乱の話になると厳しい顔で語り、植樹や農作物の収穫がうまくいくと満面の笑みになったと思い出を披露し、「現地の方々と苦しみや喜びを共有してきたのだと思う」と語った。さらに現在もアフガンの人々を苦しめる干ばつや飢餓に触れ、「いろいろと難しいことがあると思うが、優先すべきは人の命。生きていくために必要な支援が滞ることがあってはいけない。父が生きていたら同じように言うと思う」と訴えた。

 ペシャワール会の村上優会長(72)は現地の支援事業について報告。今年8月のイスラム主義勢力タリバンの権力掌握後、一時休止していた活動は再開したものの、米国による資産凍結などの影響で預金の引き出しが制限され、人件費や燃料費、医薬品の購入費、重機のリース代などの資金面から困難に直面しているという。「建設的な人道的支援を、忍耐を以(もっ)て継続する。我々はアフガニスタンを見捨てない」という中村さんの言葉を引用し、活動へのいっそうの支援を呼びかけた。

 この日の会の録画は、中村さんの命日の12月4日からペシャワール会のホームページで公開を予定している。

 中村さんは1984年、ペシャワール会の名前の由来になったパキスタン北部のペシャワルに赴き、医療支援を始めた。国境を越えてアフガンへと重心を移した。2000年の干ばつ以降は井戸掘り、用水路建設、農業へと支援の幅を広げていった。03年から手がける用水路は1万6500ヘクタールを潤し、農民65万人の暮らしを支えている。(佐々木亮)