第3回沖縄の泡盛が選んだ苦渋の決断 復帰50年で迫られる自立への模索

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女屋泰之
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 安室奈美恵さんが「NEVER END」を熱唱した2000年夏。九州・沖縄サミットに参加した各国首脳は、かつて琉球王朝が外国の使者を接待するのに使った首里城・北殿に集い、沖縄の酒・泡盛をデザートとともに楽しんだ。

 今は焼失してしまった首里城のおひざ元で長年酒づくりに携わり、当時は業界団体の幹部だった佐久本武さん(77)は誇らしげに振り返る。「世界の目が沖縄に向いた。泡盛を外に向けて発信する勢いがあった」

 01年にはNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」が放映。沖縄への観光ブームに合わせて泡盛の出荷量もハイペースで伸びた。

 「どんどん売れるからどんどん送って」。泡盛メーカーは、県外の問屋からそう注文された。各社は首都圏や関西に拠点を設け、本土での営業を強化した。

 それから20年。1972年の本土復帰から最大の試練に泡盛は向き合っている。酒税の優遇措置の打ち切りである。

泡盛の競争力を支えてきた酒税の軽減措置の見直しが迫っています。50年間の功罪はなんだったのか、自立を模索する動きとともに考えます。

日常で飲むお酒

 東京・有楽町駅前の「銀座わ…

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