ヤクルト日本一に沸く温泉宿 池山隆寛から山田哲人へ続く「温泉組」

照井琢見
[PR]

 プロ野球の日本シリーズオリックスとの激戦を制し、20年ぶりの日本一に輝いた、東京ヤクルトスワローズ。その本拠・神宮球場から西に約660キロ離れた松山市でも、市役所でお祝いの垂れ幕の掲出が決まるなど、喜びに沸いている。遠く離れたヤクルトと松山との縁。その源泉は、山間部の温泉宿にある。

 ヤクルト1軍が秋季キャンプを松山市で始めたのは2004年のこと。00年に完成した約3万人規模の新球場「坊っちゃんスタジアム」の活用策として、市が誘致した。

 キャンプにあわせて実施される、選手による市内の小学校や病院の訪問、そして野球教室は、松山の秋の風物詩だ。ただ、20、21年はコロナ禍などでキャンプが中止となっている。

 松山市はなぜ、ヤクルトにラブコールを送ったのか。市スポーティングシティ推進課の担当者は「自主トレーニングを、松山で続けてきた選手たちがいたことが大きい」と話す。

 市中心部から北に6キロの山あいの地にある温泉宿「権現温泉」。毎年1月、「温泉組」と呼ばれる数人の選手たちが、ここで寝泊まりをし、市内で自主トレを重ねている。

 浴場の入り口近くには、ガラス張りの棚に選手のサインやグッズなどをぎっしりと並べた「ヤクルトコーナー」が設けられている。そのそばに、2階の座敷に通じる階段がある。「若い選手は練習後、手すりにしがみつきながら必死で上っていくんです」と、石丸篤史さん(40)が教えてくれた。

 権現温泉は石丸さんの祖父が創業した。父の直史さんが継いだが、11年前に亡くなり、いまは母が経営している。石丸さんは地元の金融機関に就職した今も、自主トレがあれば実家の温泉に戻り、なじみの選手たちと交流を続けている。

 始まりは25年前、石丸さんが中学生のころだった。直史さんから「年明け、池山さんたちが来るよ」と告げられた。

 池山さんとは、豪快なスイングで「ブンブン丸」の愛称で親しまれ、チームの黄金期を支えた、池山隆寛・現2軍監督(55)。それまではチームメートの広沢克実さん(59)と道後周辺で自主トレをしていたが、広沢さんが巨人に移籍。松山での自主トレ先を探していた池山さんは、知人の紹介で権現温泉を知ったそうだ。

 1996年1月、仲間を引き連れて訪れた池山さんを見て、石丸さんは縮こまっていた。「本当の大スター。こっちから気軽に話しかけられなかった」

 そんな石丸さんに、池山さんは「こっちおいで。一緒にゲームしようや」と話しかけてくれた。大浴場にも「こんばんは、池山でーす」と入っていた。

 池山さんの気さくな人柄は、地元の人たちの心をつかんだ。サインをねだりに来た野球少年、阿部健太さん(37)は松山商を経てプロ入り。いまはヤクルトでスカウトを務めている。石丸さんは「最初に来てくれたのが池山さんで良かった。池山さんあっての権現温泉だと思う」。

 池山さんが現役を引退した後も、宮本慎也さん(51)ら後輩たちが、権現温泉での自主トレを引き継いできた。今季、主将を務める山田哲人選手(29)も温泉組の一員。石丸さんは「1年目の哲ちゃんは細くて、『手すり愛好家』の一人でしたけどね」と笑う。

 温泉組は毎年、1年の目標を色紙にしたためる。山田選手の今年の目標は「導」。いつもは「トリプルスリー」といった個人の記録について掲げてきたが、今年は違った。

 東京五輪では準決勝で3点打を放つなど、金メダルに貢献。今季の打点は100を超え、主将としてチームをリーグ優勝に導いた。石丸さんは「チームを勝たせたいと心に決めたのか、言葉通り本当に導きまくり。まさにスーパースターです」とたたえる。

 日本シリーズも、温泉組が彩った。5戦目は敗れたが、山田選手が3点同点弾を放った。日本一を決めた6戦目の延長十二回、勝ち越し打を放ったのは「再起」との色紙を残した川端慎吾選手(34)。最後は山田選手が二ゴロをさばき、試合を締めくくった。好リードで投手陣をもり立てた中村悠平捕手(31)は、シリーズMVPに選ばれた。

 松山からテレビで観戦した石丸さんは、「みんなの頑張りが慎吾ちゃんの最後の打球に乗り移ったと思う」とうれし泣き。「涙があふれました。こんなにうれしいことはないです」と語った。

 温泉組のツバメたちがこの冬、松山に翼をあたために戻ってきたら、石丸さんは、あくまでいつも通り迎えるつもりだ。「1位でも最下位でも、頑張っていることには変わりない。『お疲れ様』と伝えたいです」(照井琢見)