東京の夜が戻ってきている。
「不要不急」「三密回避」と、人が集まって食卓を囲む飲食店の存在にNOが突きつけられた第1波から1年半あまり、コロナ禍に腹をくくって仕事を続けたシェフたちは、今夜も厨房(ちゅうぼう)に立っている。30日に発表された「ミシュランガイド東京2022」に、食と酒と人をテーマにする文筆業の井川直子さんは、「営業時間やお酒の提供の制約が続いて昨年以上に経営は厳しかった。何とかお客さんを楽しませようと工夫して乗り切ってきた一年です」と、飲食に関わる人たちの奮闘を振り返る。
飲食店の存在意義「すしバブル」のあとで
――ミシュランガイドの日本進出から15年、フランス料理と和食とすしが中心だったリストは、バラエティー豊かになりました。
環境に配慮した店への「グリーンスター」に続き、今年は後進の育成やサービスに貢献した「人」をたたえるアワードが新設され、素晴らしいと思いました。個人が評価されることで、飲食業を志す人のモチベーションにもなります。
――東京の飲食店で酒類の提供が可能になった10月から、久しぶりに人と会って外食したという声を聞くようになりました。
皆さん楽しそうです。お店の人は、できたての料理を客席に運んだり、お酒をグラスに注いだりという、当たり前のことができる喜びにあふれていて、長い緊張がほどけたのか涙ぐむお客さんも目にしました。飲食店の「場」としての存在意義を、互いに確認しているように見えます。感染の再拡大を警戒して営業時間や席数を絞っている事情もあって、人気店の予約はいっぱい。ただ、元に戻ったというわけではありません。
――どういう意味でしょうか。
コロナ前の東京の飲食業界は、オリンピックに向けて沸き立っていました。「すしバブル」という言葉も生まれて、都心でインバウンドを対象に高価な魚と酒をそろえて客単価4、5万円からというやり方が成り立ちました。求められることに応えていたとはいえ、外国人観光客が去ってみると、かつての日本人の常連も消えていたという店もある。人気店といわれるレストランでは、「どこまで席数を減らしてやっていけるか」と聞かされました。いいことも無理をしていたことも、コロナ禍にそれぞれの店の姿が、あらわになりました。
記事の後半では、シェフの証言を記録してきた井川直子さんが、チームを率いるリーダーとしてのシェフ像を語ります
シンプルに「人に喜んでもらいたい」
私が取材するのは個人経営の小規模な店がほとんどですが、2020年4月の緊急事態宣言下、最初は大混乱でした。今日どうすればよいか、誰も正解がわからない。苦渋の選択で営業を休むことにした店が、客にキャンセルするという通常ならありえない電話をかけると、「そちらから電話してくれて助かった」と返されたそうです。客の側も悩んでつらかったわけです。
ただこのトンネルに入った暗闇の時期に、「自分はなぜ飲食の仕事をやっているのか」という根源的なことを考えに考えた人たちは、その後強かったですね。「人に喜んでもらいたい」というシンプルな答えに行き着いていました。第3波は厳しかったけれど、そのなかで感染対策を講じながら、自分なりの方法で誰かを喜ばせたいと、いい動き方をするんです。

就職氷河期世代のシェフ「腹をくくる」
――井川さんの著書「シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録」(文芸春秋)には、料理ジャンルも店の場所もさまざまな人たちの、リアルタイムの率直な思いが記されています。なかでもシェフや店主が「腹をくくる」と話す言葉が印象的でした。
東京のいまを牽引(けんいん)する店で、スタッフを率いて最前線に立っているのは1970年代生まれが多い。昔気質の職人仕事の良さも学んでいて、それが通用しない若い世代の価値観も尊重できる。海外を含めたネットワークで視野も広い。国の補償が見えない当初から、雇用は守ると決めていることが特徴的でした。
――ロストジェネレーション…