最後の福岡国際マラソン かける市民ランナーの思い

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前田伸也
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 75回の歴史に幕を閉じる福岡国際マラソン新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために参加条件が2時間25分と厳しくなるなか、出場権を獲得した市民ランナーがいる。家族や仲間の後押しでけがの手術から復活した人。五輪候補の補欠になった招待選手と、約10年ぶりに同じスタート地点に立つ人。最後の大会に出場できる誇りを胸に、12月5日の号砲を待つ。

 午前3時40分。熊本市の梅本和海さん(31)は3歳と9カ月の子どもたちが目を覚まさないように、そっと起き、市内の練習場に向かう。照明設備はなく、月明かりを頼りに走り出す。

 熊本県職員。仕事が終わって家に帰れば子どもが待っているため、夜間の練習を早朝に変えた。

 中学、高校と陸上部の中距離ランナーだったが、大学時代にハーフマラソンを走った程度で、本格的なマラソンには縁がなかった。

 入庁後、友人に誘われて2014年に熊本城マラソンを走った。2時間49分8秒と平凡な記録で、つらさばかりが募り、見切りをつけるはずだったが、庁内にランナーが大勢いることに触発された。周りに肩を並べたいと懸命にトレーニングを重ね、2017年、福岡国際マラソンに初出場。翌18年も走った。

 19年も出場をめざしていたが、疲労で左ひざの半月板を損傷。日常生活に支障はなかったが、走ると痛みが増し、ランナー人生に終止符を打つことも考えた。

 もう一度走るための方法を選ぶべきだ――。梅本さんの努力する姿を見守ってきた妻や仲間に背中を押された。「走ることで、仕事がうまくいかなかった時に気持ちが切り替えられた。そして庁内の仲間に出会えた」。走ることが人生を支えてくれていると感じた。その年の年末に手術。ひざのリハビリに励み、職場から駅までの1・5キロのジョギングから始め、徐々に練習量を増やした。

 20年夏ごろには故障前の8…

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