ほしいもの神様、見ていますか? 保存食から一躍脚光の理由たどる
茨城県ひたちなか市のほしいも神社の鳥居をくぐると、小池吉兵衛の胸像が右側にたたずんでいる。この地で、ほしいも作りを始めた小池ら5人が神様としてまつられている。
私は胸像の前に立ち、こう問いかけた。
あなた方が100年以上前に始めたほしいも作りは、今日も脈々と続いています。昨今のほしいもブームをどう見ておられますか――。
「冬のおやつは毎日ほしいも。固くて歯にくっつくので、あまりおいしいと思えなかった」。茨城出身で40代の先輩記者はこう話していた。それが今や人気はうなぎ登り、コロナ禍でも売り上げを伸ばし続けている。なぜここまで人気になったのか。その理由が知りたくて、産地を歩いた。
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ほしいものルーツは19世紀末の静岡県。ここでほしいもの原形が作られ、1908年ごろ、茨城・那珂湊(現ひたちなか市)に作り方が伝わり、せんべい屋の湯浅藤七や小池らが製造を始めたとされる。その後増産を進め、55年に生産量は静岡県を抜いた。現在は全国の9割近くを占める。
茨城産のほしいもの主流は、60年に品種登録された「玉豊」。もともとは食用でんぷんの採取用に開発された。海に近く、夏も比較的涼しいひたちなか市周辺は、高温に弱い玉豊の絶好の産地だった。
玉豊のほしいもは、いも本来のほんのりとした甘みが魅力。しかし、糖分が浮き出て白い粉をふいたようになる見かけや硬さがネックだった。それでも、郷土の保存食として親しまれてきたことには違いない。
「紅はるかの登場で、ほしい…
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