横山ひろし、どつき漫才の正司敏江を語る 「頂上も地獄も見た天才」

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土井恵里奈
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 「苦しめ! あほ!」。舞台で壮大な夫婦喧嘩を繰り広げる「どつき漫才」でてっぺんを取った正司敏江さんがこの秋80歳で逝った。罵り、どつかれ、蹴られて笑う。夫の浮気も借金もネタにした修羅の人生とは。芸人仲間の横山ひろしさん(74)が振り返る。

どつかれても笑かしたる 酒井くにお・とおるが語る芸人・正司敏江

満身創痍(そうい)、体当たりの女漫才師は、一体何者だったのか。アホと真実に生きた芸人の人生をひもときます。

横山やすし「天才や」

 敏江さんと玲児さんは、うちの師匠の横山やすしと仲良かったんですわ。一派ですわな。(夫婦漫才の)ネタをやすし師匠が書いたりね。やすし師匠は敏江さんのことを「天才や」って。「もし相方をかえるんやったら敏江ちゃんとやりたい」と言うてましたね。

 元々は吉本の漫才師やった自分が松竹に移ったのも、玲児さんらのおかげ。やすし師匠に「どう、やっちゃん、わしに預からしてくれへんか」って感じで言うてくれて。生んでくれたんは横山やすしやけど、育ててくれたんは玲児さんやねん。

 昔の芸人いうんは、正司敏江・玲児が最後やと思います。飲む、打つ、買う、借金あってなんぼの玲児さんを、敏江さんが支えて。敏江さんがおったから、すべてが明るくいけたんちゃうかな。天真らんまんで、いつ会っても明るかった。さびしい暗い顔いうのは見たことなかった。

 敏江さんは子どものころ、香川の小豆島から出て来て、学校もあんまり行けてないから読み書きがしんどかった。そんな人の多かった時代。漫才の台本は口移しよ。

 敏江さんは文字が苦手でも、台本に書いてない芸ができたわけ。だから怖いものなし。そんな芸人って少ないねん。台本ありきで、フリートークは難しいから。

大阪新世界の「どつき漫才」

 (夫婦のどつき漫才が生まれた舞台が、大阪の)新世界やったのもよかった。あんなどつき合い、他の劇場でやってたら奥さん連中が「やめてあげて」というとこや。こっち(新世界)やからオーッてなったんや。新世界の劇場は、右から来た客が(投げ銭で)千円置いたら、左から来たやつが通りながら持っていきよんねん。ラジオを聞いたり新聞を読んだり、ヤジを飛ばす客も多くて。せやけど芸を見る目は肥えとった。舞台の上の芸人を笑わすというか、芸人を使って自分が遊ぶような客もおったくらい。新世界はほんま、ネタを育ててくれる場所やってん。

 それで、関西の芸能界の横綱になっていくわけです。1970年には紅白歌合戦にまで出て。あの頃、やすし・きよしとともに一番笑いを取るコンビでした。日本が一番元気だった時代に、カッカッカと売れていった。あんな売れ方をする人を見たことがない。

 金も夢のように入ってくるわけや。当時としてはとんでもないお金。狂うほど懐に入ったと思うよ。とことん貧乏暮らしやったんが、売れて芦屋のマンションに住んで、紅白出て。バラ色の青春やったと思う。

 でも、夢みたいな楽しい時期は短かった。ほんの5年ほどや。芦屋に住むようになった頃から、雲行きが怪しくなって。

12月11日には、正司敏江追悼公演が開かれる。出演は桂福団治、酒井くにお・とおる、横山ひろし・春けいこ、海原はるか・かなた、三吾・美ユル、森脇健児シンデレラエキスプレス、植村茂浩、アメリカザリガニチキチキジョニーら。午後2時から大阪市中央区の「DAIHATSU 心斎橋角座」で。問い合わせは06・6258・8085。

敏江さんが見た地獄とは何だったのか。記事後半では、踏まれても立ち上がるド根性の芸人人生に迫ります。

■夫の借金・ギャンブル…

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