「僕は政治家になります」立憲新代表・泉健太氏がたどった政治への道

有料会員記事立憲

大貫聡子、高井里佳子
[PR]

 立憲民主党の新しい代表に選ばれた衆院京都3区の泉健太氏(47)は、大学に入ったのを機に京都に拠点を移した。友人らとシェアハウスに住み、ボランティアや市民運動に熱中した若者はどのようにして政治の道を歩んできたのか。過去の発言や周囲の人々の証言から追った。(大貫聡子、高井里佳子)

「人を巻き込み、集めるのがめちゃくちゃうまかった」

 「常に健太の部屋には誰かが集まっていた。人を巻き込み、集めるのがめちゃくちゃうまかった」

 そう話すのは元衆院議員でエンジニアの村井宗明さん(48)。同志社大生だったころ、札幌市の高校を卒業して立命館大に入った泉氏と出会い、京都市内のシェアハウスでともに暮らした仲だ。

 村井さんによると、泉氏は大学の弁論部に所属し、学外の活動にも積極的だったという。1996年の京都市長選では、候補者を招いた講演会を企画。95年の阪神大震災ではボランティアとして現地に赴き、97年にナホトカ号重油流出事故が起きた際にはバス2台を貸し切りにして、学生を乗せて重油回収のボランティアに向かったという。

 泉氏や村井さんと一緒に活動した大阪府堺市の西哲史市議(44)によると、当時活動をともにした仲間の多くが国会議員や自治体の首長、議員になり、今も泉氏の選挙や活動を支えているという。

 そんな泉氏は、学生時代から政治家志望を公言していた。立命館大で同じクラスだった北九州市の安元優子さん(47)は、入学直後の泉氏の自己紹介が忘れられない。「『なりたい』とか『目指す』じゃなく、『僕は政治家になります』って言っていた」

「ベンチャーの立ち上げみたいにワクワクしていた」

 大学卒業後、福山哲郎参院議員の秘書に。2000年に京都3区から衆院選に初挑戦し、落選した。その後の泉氏の政治活動を手伝った元三重県議の芳野正英さん(47)によると、地盤も資金も政治経験も乏しかった泉氏は、地域住民の困りごとを聞いて回っていた。

 芳野さんは「一人一人の有権…

この記事は有料会員記事です。残り511文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
【1/24まで】2つの記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!