「店をやれと…」 全壊の町中華、4代目に再建を決意させた「金」

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徳島慎也
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 のどかな女川港が目の前に広がる宮城県女川町の中心商店街に、中華料理店「金華楼」はあった。1955年創業の老舗で、3階建てのビルに入った店は、浜の漁師ら常連でいつもにぎわっていた。

 2011年3月11日の東日本大震災。店主の鈴木康仁(49)は、昼の営業を終えて、店の近所を散歩していた。女川生まれ、女川育ちの4代目だ。

 午後2時46分。いきなり地面が激しく揺れ始めた。道端の住宅に目をやると、家の土台と道路の間に亀裂が入り、裂けた。「ただ事じゃない」。揺れが収まって店に戻ると、厨房(ちゅうぼう)の床は割れたどんぶりが散乱し、店員たちが片付けを始めようとしていた。

「逃げろ!」 チリ地震の記憶で高台へ

 「そんなことしてる場合じゃねえ。逃げろ!」。すぐに津波が来ると感じた鈴木は、車に母や近所の住民らを乗せて、町立病院が建つ南西の高台に向かった。

 この時、鈴木の頭には、1年前に起きたチリ地震の記憶があった。

 10年2月のチリ沿岸での大地震で、県内では高さ1メートル以上の津波が観測された。海辺に建つ金華楼も1階が数十センチ浸水。ひざまで水につかる経験をした鈴木は、「地震が来たら高台に逃げなきゃだめだ」と心に決めていた。

 高台に着くと、住民たちが次々に避難してきた。「明日は掃除しないとだめだね」などと話していると、女川港の沖の堤防を、波が越えたのが見えた。

 「ここでもだめだ。やばいやばい」。鈴木たちは高台のさらに上にある神社へと階段を駆け上がった。町内放送が「逃げろー!」と叫ぶのが聞こえた。

 振り返ると、真っ黒い波が街をのみ込み、高台に迫ってくるのが見えた。流された家や車がぶつかって、「バキバキ」と大きな音がした。

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津波で被災した女川町=2011年、鈴木康仁さん提供

 神社から見下ろした街は、一面が水につかっていた。町役場や観光施設「マリンパル」の屋上に人が見えるだけで、「あそこにいる人しか生きてねえのかな」と感じた。病院で、家族と一晩を過ごした。

 翌日、避難していた住民たちとふもとに下り、避難所の体育館に向かった。

 道中、津波の後に初めて、金華楼の姿が見えた。店が入っていた3階建てのビルは全壊し、変わり果てた姿になっていた。20代から働き始め、家族で切り盛りしてきた場だった。

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金華楼が入っていたビルは、津波で全壊した=2011年、宮城県女川町、鈴木康仁さん提供

 「今はどうしようもない」。年配の住民も一緒にいたため、とにかく暖かい所へ行こうと、避難所の体育館に向かった。

がれきから見つかった「金」

 鈴木が避難所での生活を始めて、1週間ほど経った頃だ。知人の安否確認などで日々が過ぎていき、津波で全壊した店をどうするか、まだ考えていなかった時期だった。

がれきの街から店の象徴が見つかり、鈴木さんは再建への思いを強めます。記事の後半では、仮設の店を経た鈴木さんが、町の未来を描く姿を追いました。(敬称略)

 「店の看板が、役場の2階に…

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