自分の腰痛、怒る監督と謝る母 狩野舞子さんが語るバレー部あるある

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木村健一
【動画】狩野舞子さんが、部活動について語った=内田光撮影
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部活文化を問う

 「いい思い出は、なかなか思い出せないんです」

 バレーボールの2012年ロンドン・オリンピック(五輪)銅メダリスト、狩野舞子さん(33)は、自身の高校時代を振り返る。

 「つらかったこと、みんなで頑張った思い出がすごく頭に残っていて」

 両親は元選手。11歳上の姉・美雪さんは北京五輪代表。バレー一家に育ち、小学4年で競技を始め、東京・八王子実践中3年時にアテネ五輪代表候補になった。

 そして、母や姉の母校で、12度の全国制覇を誇る八王子実践高へ進んだ。

 「当時の監督は昔から『怖い』で有名でした。怒ると、練習をさせないために体育館の床に水をまいたり、ネットを切ったり……」

 寮生活。コンビニへ行くのは禁止だった。

 「寮と体育館と学校の『三角形』の生活。毎日、朝が来るのがしんどかったです」

 それでも、やめたいとは思わなかった。バレーが好きだったからだ。

 「怒られても、オリンピックに出るという夢のために頑張ろう、と。それが普通だと思っていました」

 強豪は、どのチームも同じような環境だとも感じていた。

 「すぐ殴る監督と、口が悪い監督と、『ペナルティー』を科す監督と……」

 今は、こう思う。

 「いかに失敗しないか、という思考回路になってしまっていました。怒られないように。そう考えてしまうと、思い切ったプレーをしなくなります。自分たちで突き詰めていかないと、強くなりません。当時のメンバーには全国大会で優勝できる力があったのに、できませんでした。もしかしたら、そういうところに原因もあったかもしれません」

 美談にしてはならないエピソードがある。高校最後の大会のことだ。

 1年生からエースを任され…

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    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2021年12月10日16時43分 投稿
    【視点】

     「引退してから、うまくなった気がします」という狩野さん言葉に、部活文化を考え直すヒントが詰まっていると思います。  指導者に怒られないから、いろいろと試すことができた……。成長のプロセスとしては、手順前後ともいえるでしょう。  当座の

    …続きを読む