北方領土結んだ海底ケーブル 流氷などで度々断線 貴重な資料発見

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大野正美
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 終戦直後まで北海道根室市北方領土の国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島をつないだ通信用海底ケーブルに、明治から昭和にかけての補修などを記録した文書が見つかった。ケーブルを根室市で陸上に揚げていた「陸揚庫(りくあげこ)」が10月に国の登録有形文化財になったものの、未解明の点が多い海底ケーブルの歴史をたどるうえで、貴重な資料となりそうだ。

 海底ケーブルは当初、1897(明治30)年に旧逓信省が標津(しべつ)町と国後島間の根室海峡、国後島と択捉島間の国後水道にそれぞれ敷設した。当時は、千島列島周辺などの海域で英米の密漁船への対策や、帝政ロシアの東進をにらんでの警備強化が必要となっており、こうした方面への連絡手段の確保を狙いとしていた。

 だが、すぐに流氷による断線に悩まされることになる。99年に国後―択捉間で、1900年には根室―国後間で敷設し直された。見つかった文書の一つには、国後―択捉間33・869カイリ(約63キロ)が通信用導線1本のケーブルで1899年8月14日に、根室―国後間20・637カイリ(約38キロ)が導線2本のケーブルで1900年9月28日に、それぞれ敷設されたとあり、開通当初の状況を詳細に伝えている。

 また別の文書は、潮の流れが激しいことで知られる国後水道で、1909(明治42)年1月~28(昭和3)年12月に11件の故障が発生し、修理されたことなどが記されている。ケーブルに対する何らかの試験で得られた電圧や、絶縁抵抗の数値などを記した文書もある。

 これらの文書を保管していたのは、海底通信ケーブルの敷設などを手がける企業「NTTワールドエンジニアリングマリン」(本社・横浜市)が長崎市に持つ海底線史料館。旧逓信省の流れをくむ同社には、明治以降に同省が敷設した海底ケーブル関係の資料や設備が数多く残されており、史料館で保管してきた。

 根室市の陸揚庫が「地域と北…

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