「僕の歴史」と瀬古利彦さん 福岡国際マラソンの名場面を振り返る

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 福岡国際マラソンは5日の号砲を最後に、75回の歴史に幕を閉じる。先月23日には朝日新聞オンラインイベント「さらば福岡国際マラソン 思い出のレースを語り合おう」を開き、優勝4度の瀬古利彦さんと、長年実況を務めたテレビ朝日アナウンサーの森下桂吉さんとともに、大会の歴史を振り返った。

 ――大会では数々の名勝負が繰り広げられてきました。1979年の第33回大会はモスクワ五輪の代表選考会。優勝した瀬古さんと、茂、猛の宗兄弟で表彰台を独占しました。

 瀬古 すごく緊張していた。調整を失敗して疲れが残っていて、きついレースだったんです。40キロ地点で宗兄弟にスパートされて40メートルぐらい離された。もう負けたなと思ったけど、マラソンというのは、あきらめたらいけないですね。あきらめなかったら、宗兄弟に追いついた。あの2人がいたから頑張れた。本当に感謝しています。

記事の最後で、瀬古さんと森下さんが語り合う記者サロンの動画をご覧いただけます。

 森下 現役時代、2人と話すことはなかったんですか?

 瀬古 中村清監督から「話しちゃいけない」と言われていた。情がうつるから。「お前は『不気味だな』と思わせないと、あの2人には勝てない」と言われていました。

 ――ロサンゼルス五輪の代表選考会だった83年の第37回大会は、瀬古さんとジュマ・イカンガー(タンザニア)の一騎打ちでした。

 瀬古 中村監督から「最後の100メートルが勝負だよ」と言われていました。元々、自分は800メートルの選手だったので、最後のトラックに入ってからスピードを上げるのは得意だった。一番勝てるところでスパートした。そういえば、ビッグボス、(プロ野球日本ハムの)新庄剛志監督が、お父さんに連れられて、あのレースを見ていたらしいです。

 ――87年の第41回大会はソウル五輪の代表選考会で、氷雨の降る中、中山竹通(たけゆき)選手が圧勝。瀬古さんは直前のケガで欠場しました。

 瀬古 あのとき中山選手と対…

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