隠し続けた生い立ち 施設で育ち、厚労省職員になった女性が話す理由

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聞き手・山本奈朱香
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普通の人になりたかった

 ずっと、普通の人になりたかった。児童養護施設出身で、いまは厚生労働省で働く高橋未来さん(25)はそう言います。生い立ちを隠し続けた過去を経て、伝えることの大切さを感じ始めたという高橋さんに話を聞きました。

 父母と妹、弟の5人家族でした。貧乏で暴力もあって、小学4年の春に父を残して愛知から夜逃げしました。悲しいとか寂しいという気持ちはなくしていて、冒険みたいでわくわくしていました。いま思うと、ハイになることで自分を守っていた気がします。

 転々とした後に、都内の児童養護施設で暮らすことになりました。私が暮らしていた施設からは、大学進学者が1人もいなかったんです。奨学金の情報もなくて、薬剤師になりたかったけど「薬学部は忙しくてアルバイトができない」と聞いて、諦めました。高校時代はバイトで自立資金をためました。

 そして、中部地方の国立大学へ。私大は最初から諦め、学費が安くて寮があることなどから決めました。寮は家賃700円で、食費や光熱費を合わせても月2万円ぐらい。それでも、お金のやりくりは大変でした。

 精神面でもつらかった。寮は4人部屋で周りに友達がいるのにもかかわらず、ひとりぼっちだと感じていました。

小さなうそ つき続けた

 過去を話せないことの問題は、小さなうそをつき続けないといけなくなること。東京出身と話すと「東京のどこ?」と聞かれ、「渋谷区」と言うと「すごい!親は何してるの?」「普通の会社員だよ」とか。友達とすごく仲良くなって、信頼していろいろなことを話してくれているのに、私は言えなかった。今でも、ひどいことをしたな、と思っています。

 そういうことが続くと、自分が何者かが分からなくなっていく。過去と向き合う時間が増えて苦しくなり、孤独だと感じる時期が3年ぐらい続きました。施設は高校生まで毎日帰っていたところなのに、簡単には頼れない場所になり、毎日話していた職員に連絡したくても、代表番号に電話するかメールしなくてはいけない。隔絶した感じを受けて、施設で育つって、こんなに悲しいんだなと初めて思いました。

 子どものトラウマについての…

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