福岡国際2度優勝 マラソン界のレジェンド寺沢徹を鍛えたあの理論

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堀川貴弘
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 今年で75回を数える福岡国際マラソン選手権で、複数回優勝した日本選手は数少ない。

 最多は、瀬古利彦の3連覇を含む4度。続く2度の優勝は3人いる。

 メルボルン、ローマ五輪マラソン代表の広島庫夫(くらお)、ソウル、バルセロナ五輪でいずれも4位に入賞した中山竹通(たけゆき)、そして1964年東京五輪代表の寺沢徹だ。

 寺沢はマラソンの日本最高記録を塗り替えること4度。そんなレジェンドにとっても、福岡は思い出の多いレースだ。

 1961年の第15回大会を最初に計9度、福岡を走った。62年の第16回大会と64年の第18回大会をいずれも当時の日本最高記録で制した。

 現在86歳の寺沢はこう振り返る。

 「当時の福岡は世界の選手が集まるレベルの高い大会。そんな中で2度も優勝できたのはラッキーだった。他の日本選手にとっても寺沢が勝てるんだったら自分もできる、と希望を持てたのが良かったと思う」

 富山県出身。高岡商高卒業後、倉敷レイヨン(現クラレ)の富山工場などで働きながら走り続けた。マラソンで徐々に結果が出始め、61年からは、ベルリン五輪(36年)の1万メートルで4位に入賞した村社(むらこそ)講平の指導を受けた。

 自身8度目のマラソンとなった62年の福岡を2時間16分18秒4で初優勝。この時は2位の中尾隆行、初マラソンで3位の君原健二までが日本最高記録を上回った。60年のローマ五輪で惨敗した日本マラソン勢にとって、2年後に迫った東京五輪に向けて明るい光の差した大会だった。

 「絶対日本一になると心に誓って競技に取り組んでいたので目標を達成できてうれしかった。まさか2時間16分台で走れるとは思っていなかったけれど」

 さらに寺沢は、その2カ月後の別府大分毎日マラソンで、アベベ・ビギラ(エチオピア)の持っていた当時の世界最高記録を0秒4更新する2時間15分15秒8をマークした。

 急成長の裏には、半世紀以上経った今でもマラソン練習の基礎となっている「リディアード理論」の実践があった。

 理論に名前が使われているア…

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