福岡に始まり、福岡に終わった 尾方剛のマラソン人生

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酒瀬川亮介
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 福岡に始まり、福岡に終わる。それが尾方剛のマラソン人生だった。

 世界選手権に3回出場し、2008年北京五輪も走った尾方は福岡国際でマラソンの厳しさを知り、レースの戦術眼を磨いた。

 48歳になったいま、こう振り返る。「海外の名のある選手が招待されて、自分のスキルや力がどのくらい通用するかを知るのに分かりやすい大会だった」

 広島県熊野町出身。山梨学院大では箱根駅伝でアンカーを務め、優勝のゴールテープを切ったこともある。

 地元広島の中国電力に入社して4年目の1999年に初マラソン。それが福岡だった。

 当時は2時間10分切り、通称「サブテン」がステータスだった。

 「1キロ3分ペースで押せば、簡単に切れるじゃないかと。3分なんて余裕じゃんって。すごく安易な考えで出場した」

 26キロまで先頭集団にいたが、30キロから足が動かなくなった。

 「目の前が真っ白になった。体も寒くて雪山に遭難したようだった」。2時間15分22秒かかって、24位に沈んだ。

 悔しい負けも味わった。

 2002年はシドニー五輪金メダルのゲザハン・アベラ(エチオピア)と35キロから一騎打ちに。平和台陸上競技場へ向かう最後の短い上り坂で、アベラが動いた。

 少しスピードを上げて前に出るが、また戻る。また前に出ては、戻る。

 「自分の動きにぼくがすぐ反応できるか、どれだけ余力が残っているかを測っていた」

 石橋をたたいて渡るような戦術。トラックに入るまで待って、より確実に勝つことを選んだアベラに2秒差で負けた。「アベラは強かった。世界で金を取った選手との勝負はいい勉強になった」と話す。

 アテネ五輪の代表選考会だった03年は「最も悔しいレース」だった。

 31・6キロの折り返しでも…

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