あの日、原爆ドームは残った かつての洋館で記者が見た核兵器の真実

核といのちを考える

福冨旅史
【動画】被爆76年 朽ち果てぬ記憶 原爆ドーム内部を撮影=上田潤撮影
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 核兵器の惨禍を訴え続けてきた原爆ドーム広島市)が世界文化遺産に登録されてから7日、25年になる。

 朝日新聞記者は3日、ドームを管理している広島市の許可を得て、通常は立ち入りが制限されている敷地内からドームの現状を取材した。76年前、人々の日常を一瞬で破壊した原爆の傷痕が、今も生々しく残されていた。

 原爆ドームは爆心地から北西約160メートルの元安川沿いにたたずむ。1915年に完成し、当初は「広島県物産陳列館」、被爆当時は「広島県産業奨励館」と呼ばれる3階建てれんが造りの洋館だった。

 ふかふかとした芝生の上を進んでドームに近づくと、灰色の外壁が1階部分で崩れ落ち、地面には赤茶色のれんがや、がれきが無数に積み上がっていた。

大正時代に建てられた洋館は原爆の熱線と爆風に耐え、「原爆ドーム」として残りました。初めて中に入った記者は、原爆が力ずくで踏みにじったものの大きさを考えました。

 かつての正面玄関から進み、階段室だったドーム真下の中央部分に入る。内部には風や地震に耐えるための鉄骨が張り巡らされていた。一方、かつて大黒柱として建物を支えていた2本の支柱はいずれも地面から1メートルほどの高さで折れていた。

 高さ約25メートルのところにある楕円(だえん)形のドーム(長軸約11メートル、短軸約8メートル)のほうを見上げた。被爆前に銅板で覆われていたという天井は骨組みがむき出しになっていた。すき間から見えた空に雲が動き、鳥がゆっくりと飛んでいた。

 1945年8月6日、この空を飛ぶ米軍のB29爆撃機から原子爆弾が投下され、上空600メートルで炸裂(さくれつ)した。秒速440メートルの爆風を巻き起こし、熱線による火災で産業奨励館は全焼した。館内にいた約30人は全員が即死したとされる。屋根は吹き飛び、2、3階は崩れ落ちた。

 かつての中庭だった場所では、らせん階段がぐにゃりとねじ曲がっていた。柱は内部の鉄骨をあらわにして数本折れ、地面に突き刺さるようにして落ちていた。壁のれんがは老朽化し、黒や白っぽく変色している箇所もあった。

 ドームの敷地内から柵の外を見渡すと、校外学習で来た制服姿の中高生が食い入るようにドームを見つめていた。「慰霊」と刻まれた石碑に手を合わせる高齢者の姿も見えた。

「ひとつの家族のようだった」かつての町

 ドームの東側には商業施設や飲食店のビルが立ち並ぶ。北側の大通りには広島電鉄の路面電車が走っているのも見えた。地面に目を落とすと、がれきのすき間に緑や黄色の草花があった。ドームの柱には鳥がとまり、鳴いていた。

 被爆前、ドームの東側に自宅があった映像作家、田辺雅章さん(83)=広島市中区=は「夕方になると、良いにおいがした」と振り返る。産業奨励館内で作られた夕食のにおいが、窓から縁側を通り、部屋の中まで立ちこめたという。

 今は平和記念公園になっているドームの周辺はかつて「猿楽町」や「細工町」と呼ばれた。江戸時代能楽師や楽器の細工師らが多く住んだことに由来する。戦時中も日常的に謡曲や能のはやしが聞こえてくる、城下町の風情漂う町だった。

 約400世帯が暮らしていた二つの町には、格子戸を備えた2階建ての家屋が軒を連ね、駄菓子店や釣具店、陶器店などが並んでいた。田辺さんによると、子どもたちはどの家にも気軽に出入りでき、町全体がひとつの家族のようだったという。

 しかし、そんな暮らしや文化は原爆で奪われた。「猿楽町」「細工町」の町名も1965年に廃止された。この場所に町があり、人々が暮らし、豊かな文化が存在したという事実を知る人は、数少なくなっている。そんな中で、原爆ドームは被爆の痕跡を残す貴重な存在だ。

 記者自身、ドームを外側からは何度も見たが、敷地内に入ったのは初めてだ。がれきを避けながら歩を進めるたび、ここで亡くなった人たちの姿を想像した。

 れんがの壁を溶かすほどの熱線は、どれだけ熱かっただろう。大黒柱を真っ二つに折るほどの爆風の衝撃に、耐えられる人間などいるか。子どもたちの遊び場であり、パイプオルガンの演奏会場だったというこの場所が、人類史上初の核攻撃にさらされるなんて、誰が想像できただろうか。

 原爆ドームには戦後、「悲しみを思い出す」といった理由で解体を求める声もあった。ただ、広島市議会は66年に永久保存を決議した。市は67年から保存工事を重ね、今春には5回目の工事を実施した。ドームの屋根部分の鉄骨は被爆直後の茶色に塗り直された。96年にユネスコ国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。(福冨旅史)

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