「出産聞かれず征くのが心残り」 結婚直後に真珠湾へ、つづった日誌

有料会員記事

編集委員・石橋英昭
[PR]

 80年前の12月8日、山本五十六長官率いる連合艦隊が米国ハワイ・真珠湾を奇襲した。国民は沸き立ち、日本は無謀な戦争へと突き進んでゆく。宮城県北の小さなまちからも、攻撃に加わった幼なじみの若者たちがいた――。

 漫画家の石ノ森章太郎の出身地として知られる宮城県登米市中田町石森(いしのもり)。鈴木三守(みもる)はここで1915年に生まれた。

 勉学熱心だったが家は貧しかった。旧制佐沼中(現佐沼高)を出たものの進学はあきらめ、海軍兵学校を選んだ。

 大尉となった41年結婚。この年10~11月、鹿児島基地で訓練に従事した。秘密作戦が練られる中、地形が似る鹿児島湾で飛行機操縦の腕を上げたようだ。

 そして12月。

 鈴木は空母「加賀」の雷撃隊隊長として真珠湾に迫った。九七式艦上攻撃機を操り、敵艦に向かって海面すれすれに飛んで魚雷を投下する。その攻撃中、被弾し墜落。26歳だった。

 9日付朝日新聞は大本営発表

この記事は有料会員記事です。残り1245文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
【1/24まで】2つの記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!