寺の鐘が便器に…「この戦争は負ける」 戦時下、金属回収の実態

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編集委員・伊藤智章、東谷晃平
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 太平洋戦争の開戦が迫る中、1941(昭和16)年8月に公布された金属類回収令。浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)が全国の宗門寺院を対象に調べたところ、梵鐘(ぼんしょう)があったと答えた寺の9割が鐘を供出していたことがわかった。全国規模で実態が明らかになるのは初めてという。

 文化庁の統計では仏教系の宗教法人は約7万7千(2019年末)。宗門約1万寺の本願寺派は最大規模だ。北陸や中部地方から西に多い傾向にあるが、築地本願寺(東京)など東日本にもある。

 同派は昨年、宗門寺院に明治維新以来の戦争との関わりを尋ねる調査を実施。38%が答えた。

 鐘がなかった寺など37%をのぞくと、鐘があった寺のうち「鐘を供出した」が85%、「供出したが戦後戻ってきた」も5%あった。

金属類回収令

資源不足を補うため、政府は日中戦争時から金属供出運動を展開し、41年8月の勅令で強制力を強めた。官民の持つ鉄、銅、青銅製品などが対象。溶かして武器などの材料にするため、学校の二宮金次郎像、家庭の鍋釜や古くぎ、金ボタンまで供出させた。

 歴史的価値などを理由に申請すれば供出を免れることもできたが、「他寺が供出し、拒否しにくかった」という証言もあった。寺は地域に影響力が大きく、率先して協力する姿勢が求められたとみられる。

 供出は物資不足を補うためと…

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