日本選手の優勝を願った、でも… これが福岡国際らしい終わり方

酒瀬川亮介
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 第75回福岡国際マラソン選手権大会(日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日九州朝日放送主催、マイナビ特別協賛)は5日、福岡市平和台陸上競技場発着で開かれ、一般参加のマイケル・ギザエ(27)=スズキ=が2時間7分51秒で初優勝した。細谷恭平(26)=黒崎播磨=が2時間8分16秒で日本勢トップの2位に入った。

 1971年から大会を4連覇したフランク・ショーター(米)は言う。「福岡は毎年開かれる真の世界選手権だと考えていた」。その理由は「五輪以外で東欧の選手と戦える唯一の大会だったから」。125回の歴史をもつボストンでさえ、東欧の有力選手が参加し始めたのは80年代終わりから。冷戦中に世界中から選手が集まる大会は福岡くらいしかなかった。

 96年の第50回記念大会を制したのは、同年のアトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱(イボンジュ)(韓)。優勝した直後、当時の金泳三(キムヨンサム)大統領から平和台に祝電が届いた。高らかに場内で読み上げられるのを聞きながら、大会の権威を感じた。

 第8回大会で外国選手を招くようになり、去年までの67大会で外国選手44勝、日本選手は23勝。地の利が通じないほどの実力者が集った証しだ。

 最後くらいは日本選手に勝ってほしいと思っていた。コロナ禍で海外選手を招待できなかったが、それでも日本の実業団所属とはいえケニア出身のマイケル・ギザエが優勝をさらった。でも、それでよかったのだと思う。福岡国際らしい幕の下ろし方だった。(酒瀬川亮介)