閻魔に仕えた平安貴族、子育て「幽霊」……京都の住宅街に残る珍伝説

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高木智也
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古都ぶら

 あの世とこの世の「境目」と呼ばれる場所が、清水寺の近くにある。そこは意外や意外、風情ある住宅街の一角。なぜここが? 歴史をひもとくため、かいわいを歩いてみた。

 観光客でにぎわう清水寺から西へ歩くこと10分あまり。住宅や商店が立ち並ぶ松原通に「境目」の目印を見つけた。「六道の辻」と刻まれた石碑だ。

 六道とは、仏教ですべての人が死後、生前の行いに基づいて赴くとされる世界。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六つある。その分かれ道がここだというわけだ。

 由来を説明する立て札にはこうある。

冥界との境界「六道の辻」

 〈古来からの葬送の地、鳥辺野の麓(ふもと)で入口付近に当たることから、冥界との境界『六道の辻』と称され、お盆に帰る精霊は必ずここを通るともされた〉

 石碑は六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の門前に立つ。寺の坂井田良宏住職(75)を訪ねた。

 住職によると、794年に平安京ができたころ、人の遺体は鴨川や山裾に放置されることが多かった。だが、疫病が広がったため、鴨川などに遺棄することは禁止に。代わりに弔う場所が必要とされ、鳥辺野(清水寺の南側の辺り)が埋葬地となったという。

 「鳥辺野に運ぶため、亡骸(なきがら)はこの寺にいったん引き継がれました。だから、お別れの場所なのです。この世から見たら、この辺りは冥界の入り口、冥界から見たら出口となるわけです」と住職。

 寺には、別の恐ろしげな伝説もあった。

 それは平安時代に文武の才能を発揮した貴族、小野篁(たかむら)(802~853)にまつわるもの。篁が昼間は朝廷で働きつつ、夜は閻魔(えんま)様のもとで副業をしていたというのだ。

 境内には、篁が閻魔様のもとへ向かうために使ったとされる「冥土通いの井戸」がある。年に6回ほどある特別公開では、井戸の中を見ることができる。

 寺には篁が地獄から戻ってくる際に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」まである。この井戸は明治時代に寺の土地の一部が民間に渡ってから不明になっていたが、約10年前に再発見され、寺に戻された。これも特別公開の期間中に見ることができる。

 なぜ、こんな伝説が生まれたのだろう。

 住職は「篁が亡き母に会いたくて、この寺を訪れたのがはじまりです。餓鬼道に落ちた母を救いたいと、篁は閻魔様に直談判しました。親孝行で法律に詳しく正直者と伝わる篁が、閻魔様に見込まれ、夜は閻魔様の裁判の手伝いとして迎え入れられたのではないでしょうか」と推測も交えて解説してくれた。

 寺をあとにしようとすると、修学旅行生らしき男女10人ほどが門前で写真を撮っていた。住職によると、最近はマンガなどで篁が取り上げられ、若い女性ファンが多いのだという。

看板に「幽霊」

 不思議な気持ちになりながら、西へ。

 2分ほどで、「幽霊」の文字…

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