「あの大戦」と濁し続けて現代へ 欠ける共通認識と異論認めない世論

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聞き手 編集委員・塩倉裕
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 今から80年前の1941年12月8日。日本はなぜ、米英という強大な国々に戦争を仕掛けたのでしょう。そして、いま私たちが「あの戦争」と呼んでいるのは、そもそもどの戦争のことなのでしょうか。「日本軍兵士」などの著作で知られる歴史学者の吉田裕さんに、じっくりと聞きました。

よしだ・ゆたか 1954年生まれ。一橋大学名誉教授。専門は日本近現代政治史。東京大空襲・戦災資料センター館長。著書に「日本軍兵士」「アジア・太平洋戦争」など。

 ――41年12月8日に日本が米英との戦争を始めた目的は、何だったのでしょう。

 「第一の目的は、中国大陸で獲得していた自国の既得権益を守ることでした。1931年の満州事変と37年に始めた日中戦争という、中国への侵略戦争によって獲得していた権益です。日本は米国から、中国からの撤兵を求められていましたが、それを拒んでの開戦でした」

 「第二の目的は、東南アジアで獲得していた自国の勢力圏を米英などに容認させることでした。中国戦線の泥沼化に直面した日本は40年以降、戦争体制を維持するため、東南アジアの重要戦略資源を軍事力で獲得する道に進んでいたのです」

戦争を総括する際、「あの戦争」や「先の大戦」といったあいまいな呼称が使われています。記事後半では、吉田裕さんが「どの戦争を指すのか国民に共通した認識はない」と語ります。

 ――公式には戦争目的をどう…

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    三牧聖子
    (同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
    2021年12月9日11時49分 投稿

    【視点】「百巻の万国公法は数門の大砲に若かず」。弱肉強食の国際政治では、国際法はほとんど意味を持たないー福沢諭吉の言葉だ(『通俗国権論』1878年)。吉田氏が指摘するように、第一次世界大戦後、九カ国条約や不戦条約が成立し、民族自決や戦争違法化の流れ