いまから14年前の12月、少しかわった「授業」が神奈川県鎌倉市で始まった。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」。東京大学の加藤陽子教授が、私立栄光学園の中高生17人に、日本近現代史における「戦争の論理」を説いた5日間は、書籍になった。あの生徒たちはいま30歳前後となり、社会の中核を担っている。日米開戦から80年。彼らの目に、その後の日本社会はどう映っているのか。
加藤陽子さんが迫る戦争の実相、濃密な授業
開戦時、日米の国力には大きな差があった。加藤さんは授業でこう説いた。「こうした差を、日本の当局はとくに国民に隠そうとはしなかった。むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだということで、差異を強調すらしていました」。天皇の懸念、軍部の思惑、英首相チャーチルのぼやき……。さまざまな材料を示し、戦争の実相にせまっていった。
「あのときは、軽い気持ちで参加したんですが、濃密な授業でした。疲れて帰るころには夕暮れになっていましたね」。高校2年だった石塚慎平さん(30)はふり返る。当時はブラスバンド部。ただ、あれで歴史という学問へのまなざしが変わったという。
加藤さんの授業は出版社の企画とはいえ、教科書を使ういつもの授業とは違った。日清戦争から日米開戦まで当時の手紙や日記などが紹介され、人々がなぜ戦争をやむなしと思ったのか考えさせられた。「歴史の研究とはこういうアプローチをするのか、と新鮮でした」。石塚さんはアラブの世界に興味を持ち、東京外語大へ。いまは大手ゼネコンに勤めている。
「話に追いつくのに必死でしたね」。コンサルティング会社につとめる山下拓郎さん(30)はそう答えた。当時は高校1年生。歴史研究部に所属し、文化祭で2・26事件のジオラマをつくったことがある。でも近現代史は苦手だったという。
「それでも、日本人は~」と書名に掲げた本は小林秀雄賞を受け、文庫本とあわせて、これまでに累計で43万部が発行されている。加藤さんから届いた本を、生徒たちは本棚に大切にしまっていた。彼らの多くが「加藤陽子」の名前をふたたび意識するようになったのは、2020年だった。
学術会議の任命拒否「開戦前も、ああだったんだろうな」
- 【視点】
詰め込み式の日本型学校教育の対極をなす画期的な教育方法として現在でも進学校を中心に影響を与えているドルトン・プラン。そのプランを海軍兵学校に導入しようとした教育者でもある永野修身。開戦時の海軍のトップとして彼がなぜ勝ち目のない戦争を決断した