1941年12月8日の真珠湾攻撃に加わった旧日本海軍の潜水艦「伊16号」の通信兵、石川幸太郎さん(享年27)が潜水艦の中で記した日誌の複製や当時撮影された数十の写真が、岩手県奥州市の民家に残されている。潜水艦の作戦や家族への心情が記されており、80年前の青年の葛藤を伝える歴史的な資料になっている。
日誌は41年11月から42年11月までのもので、石川さんの娘で、奥州市在住だった故・純子さんの書斎内にあった。簡易製本で厚さは約3・5センチ。純子さんの夫満夫さん(83)によると、原本は見つかっておらず、複製だけが今年4月、写真と一緒に紙袋の中から出てきた。
石川さんは宮城県旧石森町(現・登米市)で生まれ、33年に横須賀海兵団に入団。通信兵として伊16号に乗り、真珠湾へと出撃した。日誌は出撃前日の11月17日から始まっている。
《矢はすでに弦をはなされた。われわれ伊一六潜乗員八十名の者は一丸となって敵を目がけて突進せねばならぬ》(11月18日)
《洋上快晴なれども、さすが大洋の真っ只(ただ)中、波濤(はとう)大きく艦のローリングも相当ひどい。上甲板に出(い)でて、新鮮な空気の存分に呼吸できるのも本日限り。あとは警戒航行で日光とは絶縁される》(11月20日)
真珠湾攻撃前後、石川さんは次のように書いた。
《ついに待望久しき作戦特別…
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