「弥上の陶棺」岡山の手工業の技、綿々と

構成・雨宮徹
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 岡山県赤磐市の古墳から出土したユーモラスな形の「弥上(やがみ)の陶棺(とうかん)」。県古代吉備文化財センターの団奈歩調査員がその魅力を語ります。

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 陶棺(とうかん)とは、古墳時代後期の6世紀中ごろから150年ほどの間に使われた土製の棺(ひつぎ)のこと。東北から九州まで700点以上が出土しており、うち約8割が県内からとされます。

 有名な一つが、赤磐市弥上(やがみ、旧熊山町)にある前方後円墳・弥上古墳から1970年代に出土した「弥上の陶棺」です。

 円柱形の8本の脚(高さ20センチ)が2列。ふたはドーム状で、鈎(かぎ)形の突起を八つあしらい、上から見ると亀の甲羅のように見える模様がある。「亀甲形陶棺(きっこうがたとうかん)」と呼ばれる理由です。部材の厚さは2~3センチ、全体の重さは数百キロもあります。ふたと本体を別々に作り、それぞれを2分割して四つに分けて焼き上げられました。

 陶棺の発祥地は畿内とされ、そこから吉備へ伝わったと考えられています。6世紀の吉備では最大級、全長約100メートルの前方後円墳「こうもり塚古墳」(総社市)でも、県内最古とみられる陶棺が見つかっており、弥上の陶棺はそれに続いて古いものです。

 県内で初期の陶棺を納めた古墳が特に多く見つかっているのは、弥上を含めた旧熊山町です。吉備と畿内を結ぶ古代の山陽道沿いに位置し、吉井川にも近く交通の要所。約2キロ四方の狭い範囲に、6世紀後半の前方後円墳や、大型の横穴式石室を持つ円墳などが多く築かれました。

 背景には、この一帯の「豊かな生産基盤」があったと思われます。弥上古墳近くの土井遺跡からは、周辺の古墳に使われたとみられる6世紀後半の埴輪(はにわ)や陶棺を焼成した窯と、製鉄や鍛冶(かじ)をした痕跡が確認されました。窯の出土例は県内でもここだけです。弥上の陶棺に眠った主はこうした手工業生産に深く関わった人物だったのでしょう。

 弥上の陶棺は、畿内の影響を受けた初期の形状を色濃く残しています。それは中央政権が、窯業(ようぎょう)や鉄生産を掌握する有力な在地勢力とのつながりを重視したことを意味します。備前焼など焼き物や鉄生産が盛んな岡山。ユーモラスな形の陶棺は、手工業の技術が綿々と受け継がれてきたことを物語っているのかもしれません。(構成・雨宮徹)

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 県内の埋蔵文化財を調査し、出土した品を公開。「弥上の陶棺」のほか土井遺跡から出た盾を持った人物埴輪などは常設展示している。岡山市北区西花尻(086・293・3211)。JR吉備津駅から徒歩25分。午前9時~午後5時。年末年始休館。無料。