第1回落語の規範つくった志ん朝、本質とらえた談志 演芸評論家が見た巨匠

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聞き手・井上秀樹
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 落語界でライバルと目された没後20年の古今亭志ん朝と、没後10年の立川談志は、ともに若手の頃から人気を博し、いまでも本やCDが売れています。根強いファンのいる魅力は何か。古今亭志ん生ら名人たちと親交が深く、昭和芸能の生き字引としていまも現役で活躍する矢野誠一さんに聞きました。

演芸評論家・矢野誠一さん

 志ん朝はホントに独自の様式みたいなのをこさえたでしょ。それが、落語全体の規範みたいになって。彼が死んだことによって、その規範がなくなっちゃったわけだ。だから、それぞれが自分のキャラクターで勝負するようになって、いっぺんすーっとまとまりかけたものがバラバラになって。個性的になるってことはいいことだろうけどね、目標がなくなっちゃうのは、伸び盛りの人にとってはつらいだろうねえ。

 全く反対なのが談志なんだよ。ほら、彼は立川流を旗揚げしてから、一門の連中ばっかしじゃなくて、お客さんまでが彼のことを神格化しちゃったでしょ。割に自分の弱音を見せない人だから。相当、神経質で気が弱くて、そういうところを見せまい見せまいとして、周りに自分も応えてかなきゃいけない。本当はつらかったんだろうなあ。

 ――志ん朝は前座から聞いていたそうですね。

 「(古今亭)志ん生の次男が噺家(はなしか)になった」っていう話を聞いてね。ちょうど新宿の末広で、前座で、出るかどうかわかんないんだけどいるっていうんで、その日行ったらば、サラで(最初に)出てきて。いやあ、ホントびっくりした。くりくり坊主の坊やがいっぱしにしゃべったでしょ。あの頃の前座って、ただ「ごめんなさいこれから先は出来ません」なんて帰っちゃうみたいなのがいっぱいいたし。そういうもんだってのが頭にあったから、志ん朝君にはホントびっくりした。

 僕は、談志が、立川流旗揚げするまで、とっても仲良かったのよ。しょっちゅう駒沢球場行ったり、ボクシング見たり、飲んだり麻雀(マージャン)やったり。よく銭湯連れていかれてさ、彼はせっけんと手ぬぐい使いながら、ハリウッド映画みたいに全身泡だらけにするんだよ。変なところに凝ってた。面白かったなあ。独立してから、僕は家元制度ってのは時代に逆行するもんだっていう気がしたから、こっちから連絡しなくなったし、向こうからも何も言わなくなった。端からいろいろうわさを聞いたりなんかして。それでもね、銀座や渋谷で偶然ばったり会うことがあって、俺のこと捕まえて、自分の言いたいことだけベラベラしゃべりまくって、「じゃあな」って帰って何も言わせないみたいな、ああいうところは変わんなかったねえ。

志ん朝と談志が残したものは何だったのでしょうか。記事後半で矢野さんは、2人の存在が噺家の時代を変えたと言及します。2人の雰囲気を継ぐ現役の噺家にも話題は及びました。

 ――志ん朝が作った規範とは、しゃべりのテンポ?

 それと、古い話を現代人の口…

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