心の底から生まれてくる「喜びの音」、追い求めた 丸谷明夫さん死去

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編集委員・吉田純子
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 「丸ちゃん」の愛称で親しまれた吹奏楽の名指導者、丸谷明夫さんが7日、コロナ禍の子供たちのことを心に掛けながら、76歳で旅立ちました。多くの人に愛された「丸ちゃん」の人生の軌跡と、子どもたちへの愛情の詰まった数々の「遺言」を、音楽担当記者が振り返ります。

 丸ちゃんが、逝った。

 会ったことがなくても、誰もがみんな「丸ちゃん」と呼んだ。阪神タイガースの優勝パレードでも、甲子園でもタクトを取り、人々を笑顔にした。吹奏楽という枠を超え、もはや関西のお祭りには欠かせぬ顔だった。

 しかし、指揮そのものは奔放というより、むしろ折り目正しく明晰(めいせき)で、過剰にあおるようなしぐさは一切しなかった。磊落(らいらく)な振る舞いや物言いの下から、繊細でシャイな素顔をのぞかせることはあまりなかった。

 子どもの頃に母を亡くし、決して裕福とは言えない家庭環境のもと、リコーダーなどの楽器演奏にのめりこんでいった。1964年、大阪府立淀川工科高(淀工)の前身である大阪府立淀川工業高に就職し、念願の吹奏楽部の顧問に加わる。

 初めから「丸ちゃん」だったわけではなかった。

 「なんでできへんのや!」…

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