戦争の記憶、風化に危機感 「自分のこととして」訴え 静岡で慰霊祭

山崎琢也
[PR]

 日米開戦のきっかけとなった日本軍による真珠湾攻撃から80年となった8日、静岡市内でも日米戦没者の慰霊祭が開かれた。戦争経験者が減り、記憶が薄れる中、遺族らが改めて平和の尊さを訴えた。

 「慰霊を機に、平和について考えてほしい」

 静岡浅間神社(静岡市葵区)で開かれた慰霊祭で、兵庫県宝塚市から来た松﨑洋祐さん(77)は30人ほどの参列者を前にそう訴えた。

 松﨑さんの父・三男さんは隊長機の操縦士として真珠湾攻撃に参加した。各地を転戦した後、1943年12月に中部太平洋のマーシャル諸島で米艦隊に攻撃を仕掛け、戦死した。当時27歳。松﨑さんが生まれる5カ月前だった。「私が男か女かも分からぬまま戦死し、父は本当に無念だったと思う」

 三男さんが率いていたとみられる編隊が米軍に撃ち落とされる動画が今も残っているという。米艦隊への攻撃の際に率いていたのはわずか6機の攻撃機。「もうすでに圧倒的な国力差が表れていたのだろう」とつぶやいた。

 松﨑さんは、軍人に対する周囲の目もあり最近まで軍人の遺族だと語ってこなかったという。「私自身も父のことを忘れ、12月8日も普段通りの生活をしてきた」

 そんな松﨑さんが慰霊の場に訪れるようになったきっかけが、慰霊祭を主催した葵区の医師、菅野寛也さん(88)との出会いだった。菅野さんはほぼ毎年12月にハワイへ赴いて戦没者の慰霊を続け、それをラジオで語っていた。「お互いの犠牲者の慰霊や鎮魂なしに平和はありえない」という言葉を聞き、父親の体験を隠してきた自分が「間違っていた」と感じたという。

 気持ちに区切りが付けばという思いで、2017年に菅野さんと共にハワイを初めて訪問。菅野さんが主催する静岡空襲(1945年6月)の慰霊祭にも足を運ぶなど、自らも戦没者の慰霊に参加してきた。

 そうした活動の中で、「撃墜した戦闘機のパイロットが今も夢に出る」「戦後は軍人だったというだけで石を投げられるような生活だった」と打ち明けられることもあり、「戦没者はもちろん、生き残った人も不幸になる」という思いを強くしたという。

 松﨑さんは「80年という年月は長い。12月8日に戦争が始まったという意識が薄れていると思う」と戦争の記憶が風化していくことに対する危機感を感じ、戦争を過去の出来事と捉えないで欲しいと訴える。

 「なぜ日本は戦争に突入してしまったのか、この悲劇を繰り返さないためにはどうすればいいのか。自分のこととして考えて欲しい」(山崎琢也)