開戦の日によぎった不安 語り継ぐ戦争

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木村靖さん(92)

語り継ぐ戦争 「学徒工場」で働いた木村靖さん=伊藤智章撮影

 米国との戦争が始まった昭和16(1941)年12月8日は、愛知県昭和中(名古屋市、昭和高校)の1年だった。その年に開校したばかりで、愛知一中(旭丘高校)の校舎を間借りしていた。校長が「絶対勝たねばならない」とげきを飛ばし、大いに盛り上がった。でも教室に戻ると、窓から巨大な三菱の発動機工場が見えた。誰かともなく、「いつか爆撃されるんじゃないか」。3年後、米B29爆撃機の大編隊が来て現実になった。

 米国とは国力に差があり過ぎた。当時だって「米国じゃ買い物も自家用車で行く」と授業で習っていた。不安は当然だった。日本では軍用機名古屋市港区の工場から岐阜県各務原市の飛行場へ牛車で運んでいた時代です。「防諜(ぼうちょう)」がやかましく言われたが、隠しようがない。「とても勝てない」と漏らす教師もいた。

 とはいえ、僕も軍国少年。軍の学校に行きたい気持ちもあった。3年の時、中学にグライダー部ができた。かっこよく飛び、将来は操縦士になりたい。入部しようとした。おやじが勤め先の三菱の名古屋航空機製作所で、配属の航空士官に言われた。「息子さん、長男だろ。やめさせろ。消耗品だぞ」。目が覚めた。

 大本営はまだ軍艦を何隻沈め…

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空襲1945

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