長屋の横丁、最後の1軒が取り壊しへ 酔客の心満たした店主の50年

武井風花
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 仙台市の繁華街・国分町の路地裏に、駐車場に囲まれた細長い建物がある。かかっているのは「太公望」という年季の入った看板。かつて居酒屋などが入る長屋の一部で、唯一取り壊されずに残ったかっぽう料理店だ。店主の佐藤幸雄さん(享年83)が9月に亡くなり閉業。13日に解体が始まる。国分町の横丁がまた一つ消える。

 「父の店は、知る人ぞ知る店として重宝されていました」。佐藤さんの娘幸枝さん(53)はそう話す。カウンター10席、座敷16席ほど。いつもカウンターは埋まっていた。名物料理は冬のふぐ鍋や白身魚の刺し身で、自家製のポン酢などにつけて食べるのが人気だった。

 木造2階建ての長屋ができたのは戦後まもなく。仙台空襲で街が焼け、復興が進む中だった。「もとはうちの印刷所があったんです」と佐々木印刷所(仙台市宮城野区)の佐々木英明社長(52)。道路の拡幅で土地が狭まったため、佐々木さんの祖父が長屋の貸し出しを始めたという。祖父が長屋を「七福通り」と名付け、いつしか通りの名前になった。

 仙台、秋田、京都などで修行を重ねてきた佐藤さんが太公望を開いたのは1968年。好景気の波に乗って、サラリーマンや若者たちはこぞってクラブへ行き、居酒屋で飲み明かした。近所の写真館の会長、阿部邦彦さん(89)は「景気のいい時代でしたね」と懐かしむ。

 佐々木さんにとっても、長屋は「大人の世界に触れる場所」だった。店主から接待の礼儀を教わり、若くして会社を継ぐと「経営者は孤独だからね」とねぎらってもらった。

 飲食店の集積が進んで、周囲のビルが高層化する中でも、長屋は変わらずあった。

「父にとってはお城のようなところ」

 変化が訪れたのは2006年。消防署から耐震不足を指摘され、取り壊しが決まった。ただ、「太公望」が入居していた部分だけは柱がしっかりしており、耐震基準を満たすと判断された。他7軒が入っていた部分は08年に解体され、奥行き約4メートル、幅約40メートルの細長い駐車場になった。

 「そこからお客さんが減りました」と幸枝さん。「横丁だったら、お目当てのお店がなくても、見に来てくれる人がいるけど、取り壊してからはそれがなくなった」という。

 それでも佐藤さんは営業を続けた。体調が悪い日でも「お客さんが待っているから」と出勤した。止めても聞く耳を持たない、生真面目な人だった。

 しかし、今年1月にがんが見つかった。すでに転移していて、完全に取り除くのは難しい状態だった。いったん入院し、2月には退院。7月に倒れるまで店を開け続けた。そして、9月に亡くなった。83歳だった。

 幸枝さんは「父にとってはお城のようなところでした」と言う。太公望ができた年に生まれ、同い年でもある。「今まで店があるのが当たり前だったので、どうなるのか本当に想像がつかない。国分町に来る理由もなくなってしまう」。

 取り壊された跡地は、駐車場になる予定だ。(武井風花)