井上尚弥は「鬼滅」の拳となれるか ボクシングビジネスの新様式

塩谷耕吾
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 モンスターの異名を持つプロボクシング世界バンタム級2団体統一王者、井上尚弥(28)=大橋=の防衛戦が14日に東京・国技館で開かれる。対戦相手は国際ボクシング連盟(IBF)同級5位のアラン・ディパエン(タイ)。

 この試合は従来のような地上波による無料中継はなく、番組ごとに視聴料を支払うペイ・パー・ビュー(PPV)方式で映像配信サービス「ひかりTV」、インターネットテレビ「ABEMA(アベマ)」から生配信される。価格はひかりTVが4950円(Go To イベントの適用で実際は3960円)。ABEMAは、ABEMAコイン3300コイン(3960円相当)、プレミアム会員価格2630コイン(3156円相当)。

 PPV方式にした理由について、ひかりTVを運営するNTTぷららの永田勝美社長は「今回のような魅力的なコンテンツを無料ではなくPPVで提供することで、ボクシングのビジネスの収益性の向上を図っていく」と話す。

 日本でPPVはなじみが薄いが、米国では、ボクサーが1試合で数十億円を稼ぐようなビッグマッチはPPV方式がほとんど。井上が所属する「大橋ジム」の大橋秀行会長が「PPVにできて感無量」と話すように、日本ボクシング関係者にとって憧れでもあった。

 永田社長は「責任は重い。従来の方式でやれば、(地上波の放映権料で)一定の収入がある。PPVならそれを下回る状況になる可能性がある」と、どの程度の売り上げが見込めるかは未知数。

 それでも、「井上尚弥というIP(知的財産)を最大化できる可能性を秘めている」と話すのは、エンタメ社会学者で「推しエコノミー」(日経BP)などの著書もある中山淳雄さんだ。

 アニメやゲームなどのエンターテインメント業界を研究する中山さんによると、最近、エンタメ界にメガヒットの“新様式”が生まれたという。今回の試みはその流れを踏襲できる可能性があると、みている。

 今回の興行の特徴は、大橋ジム、映像制作会社「イースト・ファクトリー」、ひかりTVの子会社「アイキャスト」の3社で製作委員会を組織したことだ。

 製作委員会は、アニメや映画制作の際に組織されることが多い。放送局や出版社、玩具メーカーなど複数社が出資して初期費用を分担し、収益もリスクも共有する。

 この枠組みで最大の成功例が、「鬼滅の刃」なのだという。

 中山さんによると、鬼滅の刃は、集英社とアニメ制作会社「ユーフォテーブル」、アニメプロデュースを手がける「アニプレックス」の3社で製作委員会を組織。第1期のシリーズは2019年4月、特定のテレビ局に依存せずに全国21チャンネル、配信サイト14社で放映した。

 「放映権収益はほとんどなかったはずだが、最終的に国内のユーザー認知度は80%までいった。これがヒットにつながった」

 放送開始後から評判は高まり、コロナ禍の巣ごもり需要で20年に一気に火がついた。多くのメディアでいつでも見られる視聴環境の効果は大きかった。コミックの累計発行部数は1億5千万部を突破し、映画の累計来場者数は4千万人を超えた。

 関連グッズ市場を合わせると、1兆円にのぼる「鬼滅経済圏」が生まれたという。「短期的に映像の収益化を目指すのではなく、視聴の最大化を図った。収益は後から付いてくることを証明した」

 今回のボクシング興行は有料配信。事情は違うが、中山さんは、配信をひかりTVだけで抱え込まず、若年層を中心に数千万人規模の視聴者層を抱えるアベマも参加した点に共通点を見いだしている。

 出資者が権利を「囲い込む」のではなく、多くの流通経路を確保して「広げる」枠組みであることが重要なのだという。

 一方、単発の興行では、その広がりに限界がある。中山さんはこう提言する。

 「今回の興行だけの収支で考えないでほしい。ブランドやイメージがユーザーに浸透するのには時間がかかる。今回の興行の後も、井上尚弥の試合映像などを無料放送やSNSで定期的に流し、あおりながら盛り上げていくと、次のビッグマッチ(での盛り上がり)につながる。彼は50年に1人の不世出のボクサー。日本だけでなく、アジア、世界に広がる『アイコン』となるだけの魅力を持っている」塩谷耕吾