衆院山口3区 大物対決分かれた明暗 政治の非情さ映し出す権力闘争

有料会員記事

太田原奈都乃
[PR]

 自民党の大物同士が対立した衆院山口3区問題の決着から2カ月。参院からのくら替えに成功した林芳正外相(60)は早くも「宰相」への足がかりをつかみ、敗れた河村建夫官房長官(79)は引退、長男で秘書だった建一氏(45)の当選もかなわなかった。勝者と敗者を分けた権力闘争は、政治の非情さを映し出す。

 今月5日、河村氏は地元・山口県萩市で開いた「感謝の集い」で、支持者約800人の前に立った。「自民党のあり方、特に保守王国山口県のあり方を考えて引退を決断した」。穏やかな口調で10期31年の政治家人生を振り返ったが、「集大成」と位置づけた衆院選を戦わずして引退を決めた悔しさもにじんだ。「本当に皆さんの期待に応えられただろうか。内心、じくじたる思いもあるのも事実だ」

 一方の林氏はその前日、山口市での外相就任祝賀会に出席し、支持者らを前に「自由や民主主義、人権、この国の平和と安定を守り抜く。我が国のために粉骨砕身働いていく覚悟だ」と力を込めた。

 河村氏にとって、こんな形で政界を去るのは予想もしていないことだった。

 7月に林氏が「総理総裁をめざすため」と3区へのくら替え立候補を表明した後も、「現職優先が党の原則」と動じなかった。「戦いの手は緩めちゃいけない」と周囲を鼓舞し、当選10回にして、選挙期間以外では初めて街頭に立ち、行き交う車に手を振り続けた。所属する二階派トップの二階俊博幹事長(当時)が主導する自民党では自身が「本流」であるとの自負があった。

 ところが、二階氏が支える菅義偉首相(同)が退陣を表明すると風向きは急変した。「権力」は河村氏の陣営から離れ、9月29日の党総裁選で岸田文雄総裁が選ばれると、対立する林氏の元へと一挙に集まっていった。「総裁派閥」の看板は林氏のものとなり、河村氏が後ろ盾としてきた二階氏は幹事長から降りた。

 潮目の変化を見逃さなかったのは、林氏を支援する県議が中枢を占める党山口県連だった。総裁選のわずか2日後、林氏を3区公認とするよう党本部に推薦した。

 林氏側の「攻勢」と前後し、新政権の公認方針として「選挙での強さや地元組織の支持」「現職優先より勝てる候補」との情報が河村氏の元に伝わってきた。

 支援者の前では「総裁が代わろうと原則は変わらない」と強気を貫いた河村氏だったが、移動中や自宅では表情を曇らせることが増えた。10月上旬、公示前最後となる党の情勢調査を週末に控えるなか朝食で建一氏に漏らした。「引かないといけないかもしれない」

 公示を6日後に控えた10月13日、河村氏は永田町の党本部に呼び出された。

 「保守分裂を避けてほしい」。事実上の引退勧告とともに甘利明幹事長(同)、遠藤利明選対委員長から示されたのは、最新の情勢調査結果だった。林氏との差はダブルスコア以上開き、立憲民主党の候補にさえ負けていた。

 立候補見送りの条件として、建一氏を比例中国ブロック公認とする案が同時に示された。ここが潮時ではないか――。河村氏に選択肢はなかった。地元へ報告に向かう車中、建一氏に伝えた。「提案に従うつもりだ」

 地元で集まった後援会幹部は「この裁定は何だ」と憤ったが、河村氏自身が「党の利益にならなければ戦う意味がない」となだめ役に回った。その夜、永田町にとんぼ返りすると、遠藤氏に政界引退を伝えた。

 翌14日、衆院解散を宣言する本会議場に河村氏の姿はなかった。報道陣に態度を表明するとの情報も駆け回ったが、河村氏は議員会館にこもり、沈黙を続けた。党幹部の打診の通り、建一氏は比例中国ブロックで公認されたが、当落を分ける名簿順位が未定だったことが理由だった。

4年ぶりにあった衆院選で、山口3区では公示のかなり前から、自民党のベテラン国会議員同士が熾烈(しれつ)な権力闘争を繰り広げていました。間近で取材してきた記者たちが、政治の表と裏を語り合います。当時、河村建夫氏の秘書として最も近くで見ていた長男の建一氏をお招きするほか、林芳正外相にVTRでご出演いただきます。 参加は無料。申し込みはウェブ(https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11006310別ウインドウで開きます)から、QRコードからもアクセスできます。

 当選を確実にするには上位登…

この記事は有料会員記事です。残り1053文字有料会員になると続きをお読みいただけます。