日米開戦、重大局面を支配した「空気」 盧溝橋事件から真珠湾攻撃へ

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編集委員・永井靖二
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 日本から東へ約6千キロの海に浮かぶ、米・ハワイのオアフ島。80年前の1941年12月8日未明(日本時間)、日本軍真珠湾を攻撃し、3年8カ月余り続く太平洋戦争が始まった。中国との戦争がすでに泥沼化する中、圧倒的な国力差があった米との開戦に、なぜ至ったのか。旧軍人らが残した言葉から、ひもとく。

 「空気からすれば」

 中国侵略の起点となった31年に始まる満州事変、翌年の傀儡(かいらい)国家「満州国」建国を経て、北平(現・北京)の南西約15キロの盧溝橋で、全面戦争のきっかけとなる出来事が起きた。

 37年7月7日午後10時40分ごろ、演習中の日本軍に何者かが発砲。これを機に近くの中国軍と小規模な戦闘に突入する。当初は、現地も東京の参謀本部も方針は「不拡大」。中国通として知られる大使館付武官室の今井武夫少佐が単身で和平工作にあたった。

 今井は現地の中国軍幹部と接触し、調印と同時に双方が盧溝橋から撤兵する協定案を同7月11日に合意させる。だが、報告に戻った今井を待ち受けていたのは、邦人保護を名目に援軍を送るという、参謀本部の方針転換だった。

 「今更現地交渉の必要もないし、また既に協定が出来たなら、これを破棄せよ」。参謀本部の意向を受けた現地軍参謀の要求を、今井は拒否した。だが、静観していた周囲の幕僚らが強硬論に転じ、交渉継続を訴える今井を「手ぬるい」と批判し始める。

 こうした経緯について、今井は戦後に出版した回想録「支那事変の回想」(64年)で、「無暴(謀)な強硬論を軽率に放言する」と厳しく指摘しながら、こうも言及した。

 「当時の空気からすれば、奇…

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