太平洋戦争開戦の日、先生は真珠湾攻撃の話をしなかった

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大野さえ子
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 太平洋戦争の開戦から80年。1941(昭和16)年12月8日、あえて真珠湾攻撃の話をせず、通常の授業をした先生がいました。「がっかりしたが、今になってみるとすごい人だった」と振り返る教え子の男性が、当時の様子を朝日新聞「声」に投稿してくれました。思想統制の及ぶ教育現場でのその先生の行動は、「あの当時、普通ならできない」と歴史社会学者の蘭(あららぎ)信三・大和大教授は話します。あのころ、人々は何を考え、どう行動したのでしょう。

 まずは教え子、長野県の竹松進さん(89)の投稿「開戦 通常の授業した先生」(11月17日掲載)をご紹介します。

「開戦 通常の授業した先生」

 太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年、私は国民学校4年生。12月8日は月曜日なので定例の全校朝会があり、校長先生から「日本がアメリカ、イギリスと戦争をすることになった」との話がありました。「アメリカは月曜日ではなく、日曜日なんだ」と時差があるのを初めて知ったことだけ覚えています。

 教室に戻り、担任の先生から、日本軍の勇ましい真珠湾攻撃の話が聞けると楽しみにしていました。しかし、時間割通り国語の授業になりました。休み時間に隣の組の子たちは「戦争の話をいっぱい聞いたよ」と誇らしげに話してくれるのでした。

 先生は修身の時間に教科書を使わず、「良寛さま」を手製のガリ版刷りを使って授業。廊下で学年主任が目を光らせていたことが、子どもながら気になっていました。それからも担任の先生からは戦争の話を聞くことはなかったのでした。

 戦後、教員になった私が「戦争の話をなぜしなかったのですか」と尋ねたら、「戦争は嫌いだから」との答えでした。今になってみると、すごい人だったと思います。大人の誰もが負けると言わなかった時のことです。

 当日の様子をもっと聞いてみたいと思い、竹松さんにZoomでお話を伺いました。

「戦争慣れ」していた日々

 12月8日の朝、ラジオで開…

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