第6回志ん朝はユートピア、談志はノイズ落語 「あれはいかんな」の真意

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聞き手・井上秀樹
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 夢のジオラマだけどなくては困る、現実のノイズを反射させた――。没後20年の古今亭志ん朝と没後10年の立川談志、この2人を通じた21世紀落語論を、和田尚久さんが語ります。「談志的な落語家が増える」とみるものの、家元の本音は違ったかもしれません。

放送作家・和田尚久さん

 影響は談志さんの方がわかりやすいと思います。時代によって意見は変遷してたけど、彼が主張してたのは、落語っていうのは、現代の普通に暮らしているサラリーマン、学生さん、普通の女の子、そういう人たちに関係のあるものなんだと主張したかったわけですよ。『現代落語論』の末尾「遠からず能のようになるだろう」、あれは大衆と関係ないものになっちゃうだろう、落語はそうなっちゃいかんよと考えてるわけですよね。そこを腐心して、話の内容も、その都度その都度変えてく。

 たとえば「木乃伊取り」の、まじめな権助が吉原に行って、初めて芸者に歓迎されて、自分も遊ぶ側にはまっちゃう。とにかく、すごくオーバーに演じるんですよ、そこに出てくる女性が、いま生きてる女の子みたいな感じなんです。談志さんはそれをやった後に「(三遊亭)円生師匠はこうやってませんでした。それは百も承知なんだけど、こういう女の子にした方が、いまの観客に通じやすいと思うんで」ってなことを言ってました。円生さんの時代からすると、吉原の芸者はこんなんじゃないだろってことなんだけど、そこをデフォルメしてでもやるということですよね。

 「芝浜」の女房なんかもその都度その都度変えてったわけですよ。どこに接点があるのかを考え続けた、その姿勢は、(立川)志の輔さんとかに非常に顕著に表れてると思いますけれども。もっと広く、(柳家)喬太郎さんにしても、(林家)たい平さんにしても、いまの人とどう接点持つのってという問いかけは残ってると思います。それは(五代目柳家)小さんや志ん朝がいただけだったら、仮に談志がいなかったら、そっちの側面が弱まったんじゃないかな。あの人が一人で騒いだり、時に失敗しつつもいろいろいじったり試行錯誤したおかげで。

落語界でライバルと目された没後20年の古今亭志ん朝と、没後10年の立川談志は、ともに若手の頃から人気を博し、いまでも本やCDが売れています。根強いファンのいる魅力は何か。ゆかりの人々に聞きました。

 存在としては、落語本体じゃ…

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